一葉日記「わか草」②
きょうは、明治24年7月25日「萩の舎」の稽古の日から。23日からいい天気がつづいています。
廿五日 晴天。今日は礫川(こいしかは)稽古也。よべ仕上たる縫(ぬひ)ものに、火のし(1)などして出たつ。田町より車を取てゆく。今日は遅刻なりけん。最早四人計(ばかり)来給ひたり。ひる頃みなみな帰宅せらる。二人三人(ふたりみたり)のこりて、今一題よみかはす。三時頃帰宅す。頭(かしら)いといたくてせんかたもなく苦しければ、今宵は十時に床へ入(いり)ぬ。夢におそはれて、おびえなどす。かしらのあしければなめり。
廿六日 不忍(しのばず)の蓮(はちす)(2)、入谷の朝顔(3)、此頃(このごろ)花盛りといふ。
廿八日 昼は晴、夜に入てより雷雨いとおびたゞしく、十一時頃には屋の上打貫様にふる。更てや止けん。
(1)炭火を中に入れて、その熱でぬののしわをのばす道具。
(2)現在、上野恩賜公園内にある不忍池の蓮。
(3)明治の初め、入谷で植木屋が競って大輪の朝顔や変わり種を作ったのが評判になり「入谷の朝顔」として有名になったという。
廿九日 空名残(なごり)なく晴渡りて、少し風さへ吹そはりつ、いと暮しよき日也。昼後(ひるすぎ)母君、神田へ行給ふ。其頃より又空曇り来て大粒なる雨降来ぬ。帰らせ給ふ頃には又晴ぬ。夜十時頃より雷雨おびたゞしくす。
卅日 今日の新聞にみれば、一昨夜横浜の大雷雨成しといふ。東京のみにはあらざりしなり。地方出水(しゅっすい)の模様あり。おどろおどろしきこととや。いとおぼつかなし。今日は春木座(4)の棟上式なり。午後(ひるすぎ)より先は浴衣縫ふ。夕刻大方出来上る。三枝信君(5)来る。母君例の土産物(みやげもの)をくるゝ。夜に入て又雨降る。
卅一日 晴天。浴衣縫上る。午後より書もの。明日小石川稽古なれば、此夜一時まで起居(おきゐ)る。
(4)現在の東京都文京区本郷3丁目にあった劇場。明治6(1873)年に、本郷の地主奥田氏が春木町に奥田座を開設、3年後には所在地名をとり春木座と改めた。主に歌舞伎を上演し、明治17年頃には、九代目市川團十郎や五代目尾上菊五郎らが出演して活況を呈した。明治23年に本郷大火で類焼し、翌年新築開場した。
(5)三枝信三郎。銀行家で、一葉の祖父の支援をした真下専之丞の長女とみ子の長男。とみ子は三枝家に嫁いでいた。
八月一日 晴天。朝六時半に宅(たく)を出て小石川に行(ゆく)。未だ誰も来たらざりし。師君(しのきみ)としばし物語りして、菓子など給はる。此次(このつぎ)の仕立物(したてもの)頼まる。友達の君は八時頃に揃(そろ)ふ。大方は避暑に趣き給ひつれば、来集者も多からず、十人計(ばかり) 成き。題二ツ。午後二時頃諸君帰る。跡にて又しばしもの語(がた)りして、三時頃かへる。前島君(ぎみ)より小説本『むら竹』(6)及(および)涙香小史(7)、十二冊借る。此日佐々木君代(かはり)岡村(8)来る。師君に貸置たるき吸入器の催促成けり。所在不分明にて、いたく当惑し給ひけり。きね女暇(いとま)を乞ひて、郷里(さと)へ帰るといふ。去(さ)れども師君は、さまで不自由を憂ひ給ふ様子なし。吾宅(わがたく)へ帰りしは三時過(すぎ)成し。例の小説気違ひとて、此夜(このよ)十時まで取付限(とりつきかぎ)りにて、十冊計(ばかり)読みぬ。しれたる業(わざ)成や。国子、今日関場(せきば)君(ぎみ)にて反物を貰ふ。幾度(いくたび)となく取出しては打眺めたるは、嬉しさになめり。此夜(このよ)山下次郎来る。 直一(なほかず)君(ぎみ)大病のよし(9)。夜具仕立貰度(もらひたし)とて成けり。
(6)饗庭篁村の著作集。明治22年から23年にかけて、全20巻が刊行された。明治時代前半に発表された小説や随筆、翻訳などをまとめ、いくつかの書き下ろし作品を加えている。
(7)当時、『月世界旅行』『美少年』 など翻訳小説家として人気のあった黒岩涙香(1862 - 1920)年の筆名の一つ。
(8)幕末明治期の内科医、佐々木東洋(1839 - 1918)。長崎でオランダの軍医ポンペに西洋医学を学び、明治14(1881)年、東京駿河台に杏雲堂医院を設立した。「岡村」は、その代診医。
(9)次郎は埼玉から上京中で、当時は兄直一の看病をして同じ下宿にいた。直一は、樋口家が明治2年8月から3年間、内幸町に住んでいた際、一葉の父則義のもとに寄宿していたことがある。
(9)次郎は埼玉から上京中で、当時は兄直一の看病をして同じ下宿にいた。直一は、樋口家が明治2年8月から3年間、内幸町に住んでいた際、一葉の父則義のもとに寄宿していたことがある。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
二十五日。 晴。今日は萩の舎の稽古日。昨夜仕上げた縫物に火熨斗(ひのし)をあててから出かける。 田町から人力車で行く。 今日は少し遅刻したようだ。 もう五人ばかり見えていた。 昼ごろ皆さん帰られる。二、三人残って、 あと一題歌を詠む。三時ごろ帰宅する。頭痛がひどくて、どうしようもなく苦しいので、今夜は十時に床に入る。おそわれておびえる夢など見る。 頭痛のためだろうか。
二十六日。 上野の不忍(しのばす)の池の蓮、入谷(いりや)の朝顔、ともにいま花盛りとのこと。
二十八日。 昼間は晴。夜になってから雷雨がはげしく、十一時頃には屋根が抜けるほどに激しく降る。深夜には止んだようだ。
二十九日。 空はすっかり晴れ渡って少し風まで出てきて、暮らしよい日である。お昼をすましてから母上は神田へ行かれる。その頃からまた空は曇って大粒の雨が降り出した。然し帰られる頃にはまた晴れてきた。 夜十一時頃からまた雷雨がはげしくなる。
三十日。 新聞によると一昨夜は横浜は大雷雨であったとか。東京ばかりではなかったようだ。 地方では出水したところもある模様。ほんとに恐ろしいことと言うべきで、ひどく不安な気がする。今日は春木座の棟上(むねあげ)式の日である。午後から浴衣を縫い、夕方には大かた出来上がる。三枝信三郎さんが見える。いつものように母上に土産物をくださる。夜になってまた雨。
三十一日。 晴。浴衣縫いあがる。午後は書きもの。明日は萩の舎の稽古日なので、今夜は一時まで起きている。
八月一日。晴。朝六時半に家を出て萩の舎に行く。まだ誰も見えていなかった。先生としばらくお話して、お菓子などいただく。次の仕立物を頼まれる。皆さんは八時頃に揃う。殆どの人が避暑に行かれて、出席者も少なくて、十人ばかり。今日のお題は二つでした。皆さんは午後二時頃帰る。その後またしばらく先生とお話して、三時頃帰る。前島きく子さんから小説「むら竹」と黒岩涙香の小説など十二冊を借りる。今日、先生のかかりつけの佐々木医師の代診の岡村という人が、先生に貸しておいたという吸入器を取りに見えた。どこへ置いたか分からなくて、先生はひどく困っておられた。また、お手伝いのきぬさんが、やめて田舎へ帰るということだが、先生はそれほど不自由なお気持ちではないようでした。家へ帰り着いたのは三時過ぎでした。例によって、小説気違いなので、夜十時まで読み耽って、十冊ほど読む。我ながら物好きなことでした。今日邦子は関場えつ子さんから反物を貰う。何度も取り出して眺めているのは嬉しさのためであろう。夜に山下次郎さんが見える。兄の直一さんが大病とのこと。夜具を縫ってほしいとのこと。
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