一葉日記「若葉かげ」⑱

明治24年6月20日、「萩の舎」の稽古日。歌子の体調が悪くて、一葉は代稽古を引き受けました。集りでは、結髪の歴史の話も出ました。


結髪の歴史めきたるもの語(がたり)も有たり。近き頃の、
いてふ髷(まげ)(1) わりからこ(2) ちご髷(3) かつらしたぢ(4) 今まれにはゆふ人あり。
島田くずし(5) かたはづし(6) 茶せん(7)
このうちにて今もゆふ髷もあり。されど、大方今は、

いてふがヘし こは、大人となくこどもとなくゆふ、むすびがみといへるものなるべし。儀式の折などゆはぬかみ也。

とう人髷(8) こは十計(ばかり)より十四、五までゆふ也。されどまれまれは、十九、廿(はたち)位にてゆふ人もあれど、みな貴嬢(あてびと)のみ也。

高島田 これはこの頃のはやりにそあめる。十六、七より廿四、五まで、島田といへば大方これ也。唄女(うたひめ)(9)の様(やう)なるものさへ、此頃はこれのみ也。

桃わりいてふ 品(びん)のよき髷にて、一時いたく流行して、都の中の女といふおんな、いはぬはなかりしを、しばらくにしてすたれたり。

ばちがたしま田 唄女(うたひめ)などの若からぬがゆふ也。素人(しろうと)にても、少し年寄(としより)てはゆふ。すべて品はよろしからず。意気といふ方にやあらん。卅計(ばかり)の唄女、いはゆる「姉さん」といふ株は、大方これ也。

お初丸髷(10) 島田より丸髷(まるまげ)にうつる時には、この髷誠によく似合へり。人の好みながら、赤き切(きれ)してかけたるも可愛気(かはゆげ)也。

束髪(そくはつ)(11)は、前がみを切て眉(まゆ)の上まで下げたる童(わらは)などの、まだ長からぬ髪を、赤き切(きれ)してゆひ下げたるこそこよなくうつくしけれ。


(1)髻を折り返して元結でとめる島田髷には派生していろんな髪形ができたが、髷を銀杏の葉の形にしたもの。
(2)割唐子。江戸末期、踊りの師匠や待合女らが結った髪型。髷を二分し、根の左右に輪を作って笄(こうがい)で留める。
(3)稚児髷。頭上で振り分けた髪を左右に高く輪にして結ぶ少女の髪形。もと公家や寺などの稚児が結っていたのが一般化、明治初期には上流家庭の少女が結った。
(4)日本髪の一種で、鬢(びん)や髷(まげ)を平たく結うもの。江戸時代の歌舞伎の女方,女師匠などが結った。鬘(かつら)をつけるときその下に結ったのでこの名がある。
(5)島田まげの髪の余りを笄 (こうがい) に巻きつけてまげの前に置く髪型。芸者がよく用いた。
(6)下げ髪を輪に結び、笄を横に挿して輪の一方を外したもの。江戸時代、御殿女中や武士の妻などが結った。
(7)茶筅髷。茶をたてるときに用いる茶筅の形に似ているところから名づけられた髷形。武家の未亡人が髪を切って、この形に結んだ。
(8)髷を左右にふっくらと結い、元結の代わりに毛で十文字に結び留めたもの。
(9)芸妓。
(10)明治維新後に流行したもので丸髷の一種。長手で、髷の端が角ばっている。
(11)明治18(1885)年以降、女性の間に流行した水油を使った西洋風の髪の結い方。上げ巻、下げ巻、英吉利(イギリス)巻、庇髪、耳隠、二百三高地、七三、S巻など、流行の時期によっていろんな名がつけられた。


廿一日 終日(ひねもす)ふる。其夜十一時頃大雷(たいらい)。跡にて聞ば、浅艸久右衛門町(あらくさきうゑもんちやう)へ落たるとかや。

廿二日 晴。午後(ひるすぎ)より師の君の御様子見んとて、小石川へ行(ゆく)。師と共に中村君(ぎみ)の家見に行。明日、君は帰京し給(たまふ)也とか。今日は国子のたん生日(じやうび)也(12)。いささかいわひなどす。

廿三日 晴。早朝より灸治(きうぢ)に行(ゆき)、図書館へ行(ゆく)。弁当などして行て、午後二時帰る。西村君(ぎみ)(13)来給へり。

廿四日

究竟(くきやう)は理即(りそく)にひとし(14)とぞきく。入りなんとする(15)昔しの迷ひと、覚めはてぬる後(のち)の悟(さとり)と、それ大方は似たるべし。此わか葉かげ、そも迷夢のはじめか、悟道のしをりか。かれ木の後(のち)に見る人あらばとて、
  なほしけれくらくなるとも一木立(ひとこだち)


(12)一葉の妹、邦子は、明治7年6月22日に、当時の麻布区三河台町(現在の港区六本木3-4丁目の一部)で生まれている。
(13)西村釧之助(せんのすけ)。稲葉家の奥女中を勤めた太田ふさの長男で、一葉の父の代から親戚付き合いをしていた。
(14)『徒然草』217段に「究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり」とある。「究竟」は仏の悟りの境地。「理即」は、凡夫が深い理は知らずとも西方浄土に成仏するようになることをいう。
(15)具体的には、小説で身を立てていこうとしたことを指している。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


結髪の歴史といったような話もあった。近頃の結髪の型は、「いちょう髷(まげ)」、「わりからこ」、「ちご髷」、「かつらしたじ」(これは今でもまれに結う人がある)、 「島田くずし」、「かたはすし」、「茶せん」などである。

このなかには今も結う髷もあるが、今結う髪型は次のようなものがある。

「いちょうがえし」=これは大人でも子供でも結う「結び髪」というものであろう。儀式の時などには結わない。

「唐人髷」=これは十歳から十四、 五歳まで結う。然し、まれには十九、二十歳ぐらいで結う人もあるが、みな良家のお嬢さんだけ。

「高島田」=これは近頃の流行らしい。十六、七歳から二十四、五歳まで、島田といえば殆どがこの型。芸者のようなものまで近頃はこの型ばかり。 

「桃割れいちょう」=上品な髷で、 一時ひどく流行して、東京の女という女で結わない人はなかったが、短期間ですたれてしまった。

「はち型島田」=年増の芸者が結う。素人でも少し年配の者が結う。すべて品はよくない。粋(いき)というのであろう。三十歳台の芸者で、姉さん格の者は殆どがこの型。

「お初丸髷」=島田から丸髷にうつる年齢の時にはこの髷は本当によく似合う。人の好みではあるが、赤い手絡(てがら)をつけたのも可愛げがある。

「束髪」=前髪を切って眉の上まで下げた子供が、まだ長くない髪を、赤い布で結んで垂らしているのはこのうえもなく可愛らしい。

二十一日。 一日中雨降る。夜十一時頃大雷鳴。後で聞くと浅草久右衛門町へ落ちたとか。

二十二日。晴。午後から歌子先生のご様子伺いに萩の舎へ行く。先生と一緒に中村礼子さんの為の家を見に行く。明日、中村さんは東京に帰って来られるとか。今日は邦子の誕生日なので形ばかりのお祝いをする。

二十三日。晴。朝早くからお灸に行き、図書館へ行く。弁当を持って行き午後二時帰る。西村釧之助さん見える。

二十四日。

悟りの極致は日常普通と同じであると聞く。迷っていた昔の状態と、目覚めて悟った今の状態とは、大体似ているものであろう。今書いているこの日記「若葉かげ」はそもそも迷いの始めだろうか、それとも悟りへの道しるべなのだろうか。その若葉が枯れ木になってしまった後で、この日記をもし見る人があったらと思って、今の気持ちを句にしてみました。

  なほ茂れ暗くなるとも一木立

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