一葉日記「若葉かげ」⑰
きょうは、明治24年6月17日の後半と、18日から20日にかけての日記です。
暇乞(いとまごひ)申して出る頃、日はやうやう西にかたぶく頃成し。今日は道かへて湟端(ほりばた)(1)を帰る。タ風少し冷(ひやや)かに吹て、みほりの水の面(おも)て薄暗く、枝さしたるゝ松の姿、伏したるも起たるもさまざまに、いづれ千とせのこもらぬもなく、「『老てますますさかんなり(2)』などいふは、かゝるをや」などおもはる。み返れば、西の山のはに日はいりて、赤き雲の色の「はたて(3)」などいふにや、細く棚引(たなびき)たるも哀(あはれ)也。
(1)三宅坂から半蔵門を経て皇居の裏を九段坂上へと通じる壕沿いの通り。三宅坂に沿った桜田濠などは景勝の地として知られている。
(2)阿蘇の神官が高砂の浦へ来ると、住吉(すみのえ)と高砂の松の精が現れて松の長寿などを語る謡曲「高砂」などにつながる。
(3)雲の旗手。雲のはて、空のはるかなはてのこと。古今集に「夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて」( 夕暮れになると雲のはてを見ては物思いにふける、あの空のように遠く手の届かない人を恋しく思うがために)。
行かふ人の無きにはあらねど、市路(いちぢ)ならねば、いとさうざうし。堤の柳の糸長くたれてなびくは、人もかく世の風にしたがへとにや、いとうとまし。引かへて、松のひゞきのだうだうとなるは、高きいさぎよき操(みさを)のしるべ覚えて、沈みし心も引起すべくなん。「秋の夕暮(4)」ならねど、思ふことある身には、みる物聞(きく)ものはらわたを断(たた)ぬはなく、ともすれば、身をさへあらぬさまにもなさまほし(5)けれど、親はらからなどの上を思ひ致れば、我身一ツにてはあらざりけりと、思ひもかへしつべし。あゆむともなしに、いつか九段の坂上には成ぬ。こゝよりは、いとにぎわゝしく馬車など音絶(おとたえ)ず、心せずは、あしもとなどもあぶなげなり。猶(なほ)おもひっゞけてうつむき勝(がち)にくる様(さま)の、いかにあやしかりけん、道行人(みちゆくひと)のおもてさしのぞく様(やう)にするも、いとつゝましく人わろければ、さしもみえじと思へど、猶おのづから色にもゝる成(なる)べし。家に帰りたるは、くらく成て成けり。
(4)清少納言『徒然草』に「秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり」。また、上田秋成『藤簍冊子(つづらぶみ)』には「思ふことありとはなしに悲しきは秋のならひのゆふぐれの空」など。
(5)死んでしまいたいものだとも思う。生活のすべを失った失望と桃水への思慕とが絡んでいると考えられる。
十八日 朝より晴也。めづらかにと嬉し。人より茄子(なす)なへの若やかなるを貰ひて、母君植(うゑ)る。
十九日 今日も晴也。 朝とく庭前(にはさき)の梅の実をおとす。みそこし(6)といふ笊(ざる)に一ツありたり。あやしう虫ばみたるなどもあれば、正味(しやうみ)は夫(それ)より少なかるべし。 こは先の日、ここの差配の、大方おとしてもてゆきたる後なればにや。「残らずにては二舛(ふたます)の余(あまり)なるべし」などいふ。ひる過(すぐ)るほどより、今日も図書館へ行く。先の日の約も有れば、みの子君を誘ひつるに、君待(まち)つけて、「共に」との給ふ。六時頃までみてかへる。
廿日 朝戸明(とあけ)てみれば、空名残(なごり)なく曇りて、今にも雨降(ふり)ぬべき気色(けしき)なり。「あな、うしや。今日はけ稽古日(けいこび)なるを」と打うめかれぬ。と計(ばかり)有て雨こぼれ来ぬ。家を出る頃には、ますます降(ふり)にふる。さればにや、来給ふ人も少なかりけり。師の君は、昨日よりあやしく心常ならずおはすとかや。例の過度に脳をつかひ給ひし故なるべし。「さは、今日は静かに、やすませたまはんこそよけれ」とて、人々をばみの子ぬしとおのれとにてあづかり申して、稽古などす。ひる頃よりひのかげやふやくみえ初(そめ)て、帰路(かへり)はいとよく雨晴ぬ。今日しも、始めて川越(かはごえ)の中島ぬしが嫁の君(7)に逢(あひ)まいらせたり。「動物詠史(えいし)(8)」といふあやしき詞(ことば)聞たるもをかしかりき。
(6)味噌をこして、かすを取り去るために使う道具。曲げ物と呼ばれる檜などの薄いへぎをまるく曲げたものの底を、目の荒い細竹の笊に編んだ。味噌汁に味噌を溶かすときに用いる。
(7)埼玉県の川越市に住んでいた、「萩の舎」を主宰した中島歌子の兄宇一の妻と考えられる。
(8)詠史は、歴史上の事実を詩歌に詠むこと。あるいはその詩歌をいいます。歴史上や古典作品に出てくる動物を詠み集めた詩歌を言っているのでしょう。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
お暇して帰る頃、日は殆ど西に傾いていました。今日は道を違えて宮城のお濠端を帰る。タ風少しひややかに吹き、お濠の水面は薄暗く、枝を伸ばしている松の姿は、横になっているのもあり、起きているのもあり様々で、どれも千年以上も経ているようで、老いて益々盛んなりというのは、こういう情況を言うのだろうかと思われるようです。振り返ると、西の山に日は沈んでしまって、旗手雲(はたてぐも)とか言う赤い雲が細く棚引いているのも哀れな趣でした。行き来する人が無いわけではないが、街通りではないので大そう寂しい。堤の柳の糸が長く垂れて風になびいているのは、人も生きて行くには世間の風習に従えという教えだろうか、私は嫌いだ。それに引きかえ、松吹く風の音がとうとうと響くのは、高潔な心のように思われ、沈んだ心を引き立ててくれるのでした。哀れを感じさせる秋の夕暮れではないが、思いに沈む今の我が身には、見るもの聞くもの、すべて断腸の思いで、ともするとこのまま死んでしまいたいとも思うのだが、母親や妹のことなどを思うと、私のこの命は私だけのものではないのだと思い返すのでした。
いつの間にか九段の坂上に来ていました。ここからは大そう賑やかで馬車なども音たてて走っているので、足もともあぶない程です。なおも思いつづけて、うつむきがちに歩く私の様子がどんなに不審だったのでしょうか、街を行く人々が私の顔をのぞくようにするのも恥ずかしく、みっともないのでそんな目で見られたくないとは思っても、やはり顔色に自然と表れているのでしょうか。家に帰り着いたのは暗くなってからでした。
十八日。朝から晴。久しぶりに珍しくよい天気なので嬉しい。母上は茄子苗の青々としたのをもらって来て植えたりなさる。
十九 日。今日も晴。朝早く庭の梅の実を落とす。味噌こし笊に一杯もあった。虫食いもあるので、まともなのはそれより少ないだろう。これは、先日この家の管理人が殆ど落として持って行った後だからでしょうか。全部では二升以上だろうと話したりする。昼過ぎ頃から今日も図書館に行く。先日の約束もあるので、みの子さんを誘いに行くと、彼女も待っていて、さあ一緒にと言って出かける。六時頃まで本を読んで帰る。
二十日。朝、 戸をあけて見ると、空はすっかり曇って今にも降りそうな様子。
「あゝ困ったこと。今日はお稽古日なのに」
と、ついぐちがこぼれる。しばらくすると、雨が降り出し、出かける頃にはますます激しく降る。そのためか、出席者も少なかった。歌子先生は昨日から体の具合がお悪いとか。いつも頭を使いすごしておられる為でしょうか。では、今日は静かにお休みなさった方がよいでしょうというので、お弟子さんたちを田中みの子さんと私でお引き受けして、代稽古をする。昼頃から日の光がやっと射しそめ、帰りにはすっかり晴れてしまった。今日初めて歌子先生のおくにの川越の中島さんのお嫁さんにお会いした。また、動物詠史という変な言葉を聞いたのも面白く思った。
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