一葉日記「若葉かげ」⑯
半井桃水のところを訪ね、彼の帰りを待つ一葉。桃水が小宮山桂介に協力を求めて進めていた原稿の掲載は、このときはうまくいかなかったようです。
十七日 朝まだきは、まだよ半(は)の余波(なごり)の雨雲立(たち)おほひて、晴ぬべきけしきはさらにみえざりしを、ひるつ方(かた)より少し雲の絶(たえ)まある様に成ぬ。「いでや今日こそ半井うしをばとはめ」とて、俄(にはか)に支度どもして、午後二時といふ頃より出なんとするはしに、奥田の老人(1)来る。「さらば諸共(もろとも)に」とて出ぬ。奥田の嫗(おうな)とは真砂町にて別れたり。かなたの家近く行(ゆく)ほど、こゝかしこ軒提燈(のきぢやうちん)ひまなくかけつらねたるは、今日なん日枝(ひえ)の祭礼(まつり)(2)なるべし。「おぞや、心もつかで」とおもひぬ。やがて、例(いつも)のおとなへば、はしためい出来(いでき)ぬ。導かるまゝ例(いつも)の座敷にまう昇りて、「御帰りはいまだにや」ととひつるに、少しいぶかしげの面持(おももち)して、「君は今日は郵便は給(たまは)せざりしにや」といふ。「いなとよ、妾(わらは)よりは参らせず。昨日うしよりみ消息(せうそこ)有て、『今日あたりこよ』との御仰(おおほせ)成しかば成」とこたふれば、「さらばやがて帰り給はん。今朝(けさ)家を出(いで)給ふ時、『今日は会議の有(ある)べければ、帰りは例より遅からん』など仰(おほせ)給ひしかば」といふに、「さらば今しばし置給(たまひ)てよ。さても帰らせ給はざれば、又こそ参らめ」など物語るはしに、かう子(3)君帰り来給ひぬ。 まさなごといひかはすはしに、五時も過(すぎ)たり。「いよいよ帰らせ給はぬにやあらん。さらば日の暮(くれ)ざらんほどに暇(いとま)申さめ」と思ふ折しも、例のタげのあるじまうけし給ひぬ。
いなみ申さんもさすがにて、しばし物して終りしほどに師は帰り給ひぬ。もの語りどもいと多かり。小宮山ぬしの深き御慮(おんおもんばか)り、例の、うしの情深さなど、かたじけなしともかたじけなし(4)。されど、筆にまかしてかいしるさんも、かつは我(わが)身づからやましきこともあり、よく為し得べき事かあらぬか、今しも思ひわきがたければ、こは、おのづから、有々(ありあり)てのちに昔(むか)し語(がたり)にもならば、いとうれしけれと、今はもらしつ。
(1)奥田栄(未亡人)。父、樋口則義が神田錦町に荷車請負業組合を設立したころ、多額の資金を貸した。日記の当時も、一葉らはその返済を続けていた。
(2)麹町区永田町(現在の千代田区永田町2丁目)の日枝神社で開かれる祭り。通称、山王祭。最盛期の江戸・文化文政期には神輿3基、山車60本という大行列となったという。
(3)桃水の妹である幸子。
(4)桃水は、小宮山桂介にも協力してもらて、5月27日と30日の日記にある小説原稿の掲載を試みたものの、うまくいかなかったらしい。書き直すことになったが、このときの一葉はあまり自身がなかったようだ。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十七日。朝早くはまだ昨夜の雨雲が空を覆って、晴れそうな様子も全くみえなかったが、 昼ごろからは少し雲が切れるようになった。さあ、今日こそは是非半井先生をお訪ねしようと、 急に支度して、 午後二時というころから出かけようとする、丁度その時に奥田の婆さんが来る。話は歩きながらといって一緒に出かける。奥田の婆さんとは真砂町で別れる。先生のお宅近 くになると、あちこちに軒提燈がずっと掛け渡してあるのは、 今日は日枝(ひえ)神社のお祭りであろう、うっかりしていて気のつかないことでした。
やがて、 いつものようにお訪ねすると、女中さんが出て来て、いつものお座敷に案内される。お帰りはまだかとお尋ねすると、少し不審そうな顔付きで、
「あなたは、今日は郵便は出されなかったのですか」 と言う。
「いゝえ、私からはお出ししていませんが、昨日先生からいただいて、今日あたり来なさいとの仰せでした」と答えると、
「では、 そのうちお帰りになるでしょう。今朝お出かけなさる時、今日は会議があるのでいつもより遅いだろうとおっしゃっていました」
「では、 しばらく待たせて下さい。それでもお帰りがなければ、また改めて」
と話しているその時に、幸子(こうこ)さんが帰って来られました。とりとめもないことなど話しているうちに五時も過ぎてしまった。 いよいよお帰りならないのだろうか、それならば日の暮れないうちにお暇しようと思っていると 、いつものようにタ食の準備をなさるのでした。さすがにご辞退もできず、いただき終わった頃に先生は帰って来られました。お話はあれこれと沢山ごさいました。小宮山先生の深いご配慮、また半井先生の深いお情けなど、 本当に言葉も及ばないほど有難いことでした。しかし、お話の内容を筆にまかせて一つ一つここに書き記すのも、私自身としても気にかかることもあるし、また書いてよいかどうかも今すぐ判断がつきかねるのです。このことは自然と月日がたって、後で思い出話にでもなればどれほど嬉しかろうと思われるので、今はここには書かないことにします。
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