一葉日記「若葉かげ」⑮
一葉は、当時の唯一のメディアともいえる新聞を注意深く読んでいたようです。明治24年6月11日には、小舟町二丁目の石崎廻漕店所有汽船「石崎丸」の沈没事故の新聞記事を読んで衝撃を受けています。
十一日 今日も空くもる。入梅也といへれば、さもや有べし。今日の新聞上に(14)、小舟町二丁め石崎廻漕店所有汽船石崎丸、小樽より東京へ向て出帆し、四日の夜なるべし、銚子の沖合に差かかる折しも、如何になしけん、脆くも沈没を為(なし)て、乗組五十余名残りなく溺死したりとか。同(おなじく)五日の朝、銚子の浜辺に一片の救命標(ブイ)流れつきたりしより、漸く人の知る所と成しに、やがて、随時に屍体小荷物など漂着したりき。さても、 何故にか、かゝる難破船の有し事を燈台局は申(まうす)に及ばず、しるべ絶えてあらざりしやといふに、救命の汽笛の燈台局に達(とどか)ざりしをみれば、海浜を去ること三里以上の沖合にて、沈没は為したるなるべしと也。大方は犬吠岬の西南長崎浦の前面辺りなるべしや。このあたり暗礁多き所なれば也。誠や、当夜は東風つよく吹あれ、波浪高く、ことに濃靄(こきもや)さへ海面(うみづら)を閉たる夜也とか。とにも角にも涙ぐまるる物がたりにこそ。
十三日 今日は小石川稽古也。朝七時頃より行(ゆく)。師は今しも起出(おきいで)給ひし也き。みの子君より乙骨まき子(15)君の手紙を受る。石田農商務次官(16)の紹介を以て、大島みどり(17)君入門す。伊東夏子君より依田学海君著作の『十津川』(18)の物語少し聞く。人々の帰り給ひし後、例(いつも)の通りみの子君と二人習字をなす。帰宅の時、師の君より匹ツ入(19)反物一反賜はる。
(14)『東京朝日新聞』6月10日付の「汽船石崎丸の沈没」の記事。
(15)1870-1912。「君が代」の歌詞の提案者とも言われる洋学者乙骨太郎乙の長女。東京高等女学校卒。帝室林野局技師の江崎政忠に嫁いだ。
(16)石田英吉(1839年 - 1901)。土佐藩士出身の政治家。
(18)依田学海『新作十二番内/十津川』(春陽堂、明治24年3月)
縦糸2本ずつを1本にしたものを2本ずつ、合わせて4本を筬(織機の付属具)1羽に引き込んで、縞糸をはっきりと出す織りかた。
十四日 雨天。今日はみの子君と共に図書館へ行(ゆく)約束成しも、さわる事有て行難(ゆきがた)ければ、はがきにて其旨を断る。国子、関場(19)君へ行て書物ども少し借てくるうちに、学海居士(こじ)の『十津川』もありき。昨日風説を聞て、ひそかに欽慕(きんぼ)したりしに、不計(はからず)も見る時をうるもいとうれし。
十五日 まき子君への返事出す。午後(ひるすぎ)より秀太郎(20)来る。今日も終日(ひねもす)雨天成し。半井君を訪(と)はんの心組(こころぐみ)成しも、俄(にはか)に心病ましければ、やめにす。十六日 朝より雨天。早朝三田の兄君(21)より書状(ふみ)来る。午後(ひるすぎ)秀太郎遊びに来る。日没後半井うしより書状来る。「物語り度(たき)ことあり、明日か明後日(あさって)来よ」と也。例(いつも)の小説の事なるべしとおもふにも、胸つぶつぶと隝(なる)こゝちす。何となく心にかゝりて、夜一夜(よひとよ)いもねず。夜もすがら大雨成し。
(19)関場悦子。妹邦子の友人だった。
(20)姉である久保木ふじの子。本郷小学校に通っていた。
(21)次兄の虎之助は、旧芝区地区三田台町二丁目(港区三田四丁目)に住んでいた。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
十一日。今日も曇。入梅だというから当然のことでしょう。今日の新聞によれば、小舟町二丁目石崎廻漕店所有の汽船石崎丸が、小樽から東京へ向かって出帆し、四日の夜の事でしょう、銚子の沖にさしかゝったとき、どうした訳か、簡単に沈没して乗組員五十余名全員が溺死したとか。同五日の朝、銚子海岸に一個の救命袋(ブイ)が流れ着いたことから人の知るところとなり、それから次第に屍体や小荷物などが漂着したという。それにしても何故に起こったのだろうか。難破船があったと、燈台局へは勿論、他処へ連絡は全く無かったのだろうか。救命のための汽笛が燈台局に聞こえなかったところをみると、海岸から三里以上の沖合で沈没したのであろうという。おおよそ犬吠岬の西南、長崎浦の前あたりであろう。このあたりは暗礁の多い所だから。本当にその夜は東風が強く吹き荒れ、波高く、ことに濃い靄が海面を覆っていたとか。ともかく、涙あふれる物語でした。
十三日。今日は萩の舎の稽古日。朝七時頃から行く。先生は今起きたばかりのところでした。みの子さんから乙骨まき子さんの手紙を受けとる。石田農商務次官の紹介で大島みどりさんが入門する。伊東夏子さんから依田学海著の 「十津川」 の物語を少し聞く。皆さんが帰られたあと、いつものように田中みの子さんと二人でお習字をする。帰りに先生から四ッ入れ単(ひとえ)物の生地一反いただく。
十四日。雨。今日は田中みの子さんと図書館へ行く予定でしたが、さしつかえが出来て行けなくなったので、はがきでその旨を書いてお断りする。邦子が関場えつ子さんを訪ねて、本を少し借りてくる。その中に依田学海著の「十津川」もあった。昨日その評判を聞いて、ひそかに心惹かれていたのに、思いがけず見る時を得たのも大変嬉しかった。
十五日。乙骨まき子さんへの返事を出す。午後から甥の秀太郎が来る。今日も終日雨。半井先生をお訪ねする予定でしたが、急に気分が悪くなったので取りやめにする。
十六日。朝から雨。朝早く三田の兄から便りが来る。午後秀太郎が遊びに来る。日が暮れてから半井先生からお手紙あり、話したいことがあるので明日か明後日に来なさいとある。例の小説のことだろうと思うと、せつなくて胸がつぶつぶと鳴るような気がする。何となく気にかかって一晩中眠れなかった。一晩中大雨。
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