一葉日記「若葉かげ」⑪
きょうは、明治24年5月2日の日記から。萩の舎の稽古日に、みんなで小石川植物園へ出かけることになります。
五月二日 小石川稽古也。空めづらしく晴渡りて一村(ひとむら)(1)のくもゝなければ、来給ふ人々いと多かり。師の君の給はく、「いかで、今日過さず、植物園(2)のつゝじ、牡丹みてこんはいかに」とうながしたまへば、人々、「いとよき事なんめり」とて、みなみな、「うれし」と思ひたり。三時頃より十三人して行(ゆく)。師の君、例(いつも)の直(すぐ)なる道は行(ゆき)たまはで、あやしう伝通院(3)のうら藪めきたる所を分(わけ)おはす。行ども行ども其道ならねば、ゆかるべくもあらず。里の子の草村に遊び居たる呼びてとひたるに、いとよく教へくれたり。見にくき子成しかども可愛(かはゆ)かりき。「五時といふを限りに人は入ぬなり」といふを、十分ほど前なりしかば、あわたゞしく切符もとめて入ぬ。中のけしき人々のさまは、詞(ことば)たるまじく、よ日(じつ)(4)記しぬべし。六時頃みなみなかへる。
(1)一叢、一群。ひとところにかたまっているものの、ひとかたまり。「村」には、一か所に同類のものが群がり集まったところの意もある。
(2)小石川植物園。東京都文京区白山にある、現在の正式名は東京大学大学院理学系研究科付属植物園。1638(寛永15)年に三代将軍徳川家光によって開設された薬園のうち、南薬園が1684年(貞享1)に小石川白山御殿内に移され、これが同園のもとになった。萩の舎ではしばしば小石川植物園へ出かけることがあったようだ。現在植栽されている植物は約3000種に及ぶ。
(3)現在の文京区にある浄土宗の寺。無量山寿経寺と号する。関東十八檀林の一つで、増上寺と並ぶ江戸浄土宗の名刹。徳川家康の生母於大の菩提寺で、寺名は於大の法名による。江戸時代を通じて徳川家の菩提所として栄えたが、明治以降は衰微した。
(4)ほかの日。他日。
八日 桃水君(ぎみ)をとふ。をしえをこはんとて也。此日は風あらくして天気好かりき。例時に趣き侍りぬ。君やがて帰宿したまひて、小説のことに付て種々ものがたりどもあり。例(いつも)のねんごろにをしゑを給ふ。「今日ぞ、小宮山君に紹介いたし侍らんに、しばし待給へよ。今、社よりの帰(かへ)さにこゝへ寄給ふべければ」と也。少し有て、日かげやゝ落ぬべき頃に、即真居士は参られたり。君はよはひ卅四計、桃水ぬしに二つのこのかみにおはすとか(5)。たけたかやかならず、こえ給はず、人がらいとおだやかにみうけ侍り。ものがたりするほど、例のタげのむしろ開かせ給ふ。我身は久しう有ぬべからんもうしろめたければ、しばしば「暇(いとま)たまはらん」といひて出ぬ。み心ぞへの車して帰る。夜八時。(5)小宮山君は年齢三十四歳くらいで、桃水先生より二歳上でいらっしゃる。実際には、小宮山桂介(1855年5月26日 - 1930年3月20日)、半井桃水(1861年1月12日 - 1926年11月21日)で、日記の日付が1891(明治24)年5月8日であることからすれば、このとき小宮山は三十六歳、桃水三十歳で、小宮山が六歳上ということになる。
十二日 ぬしのもとよりふみあり。麹町平河町といへるに、屋転(やうつ)りしたまひし(6)のみしらせ也。かつは、「ものがたり度事(たきこと)侍れば、まみえられべくや」と也。やがてかへししたゝめておくる。「十五日にまからん」とて申す。
(6)麹町平河町(明治44年に平河町と改名)というところへ、佐久間町の家を引き払って家族と引っ越した。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
五月二日。萩の舎の稽古日。珍しく空は晴れ渡り雲一つないお天気なので、来会者も大変多かった。歌子先生が、
「さあ、明日と言わず、今日のうちに植物園の躑躅(つつじ)や牡丹を見に行ったらどうだろう」 とお誘いになると、一同も皆よいことだと嬉しく思って、三時頃から十三人で出かける。先生は、いつもの道は行かないで、妙な伝通院裏の藪の中を分けて行かれる。いつもの道でないので、行けども行けども行き着かない。草原で遊んでいた田舎の子を呼んで尋ねると詳しく教えてくれた。顔は醜い子だったが可愛かった。入場は五時までだったが、十分ほど前だったので、あわてて切符を買って入る。中の様子や皆の様子は、今は書き尽くせないので、後日書くことにする。六時頃皆々帰る。
八日。 桃水先生を訪ねる。教えを受けるためです。今日は風強く天気がよい。いつものように午後訪ねる。しばらく待っていると、帰宅されて、小説のことについて種々のお話があり、いつものように親切に教えて下さる。
「今日はあなたを小宮山君に紹介したいのでしばらくお待ちください。まもなく新聞社からの帰りに此処へ寄るはずだから」
とおっしやる。しばらくしてタ日が沈む頃に即真居士さんが見えた。年齢は三十四歳ばかり、桃水先生よりは二歳上でいらっしゃるとか、背は高くもなく、また肥えてもおられず、 おだやかなお人柄と思われた。お話をするうちに、いつものようにタ餉の用意をなさる。私は長時問お邪魔するのも気がひけるので、やっとのことでお暇をいただいて帰った。先生のお志の車で帰る。夜入時でした。
十二日。半井先生よりお手紙。麹町平河町に引越しなさったという便りでした。そして、話したいことがあるのでお会い出来ないだろうかとありました。すぐにご返事を書いて送る。十五日にお伺いしますと書く。
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