一葉日記「若葉かげ」⑨
きょうのところは、明治24年4月26日の日記になります。雨模様にもかかわらず、半井先生のところを訪ねます。
あけの朝とく起出てみれば、空はいつのまにか黒きくもゝておゝはれはてぬ(1)。「今日は雨にこそ」と打わぶれば、母君、「降なましかば行かでも有なん」との給へど、「私の用なるを、空しくまたせ参らせんやは。つよく降なばそは詮なし、大方ならば必らず参らん」とて支度する程に、「雲の切間みえ初ぬ」といふ。うれしくて家をば出ぬ。田町(2)らといふほとりより、又くろき雲おびたゞしく出(いで)来て、雨俄に盆をかへす(3)様に成ぬ。「今更に帰りなんか、同じことぬれぬべければ志す方へ」とて此ほとりより車ものしてゆく。
(1)日付はないが、ここからは4月26日の記録になる。
(2)本郷区田町。現在の文京区西片一丁目と本郷4~5丁目。明治5年(1872)に本郷菊坂田町が近接する旧武家地と興善寺・大善寺の寺地を合せ、改称して成立した。
(3)「車軸を流す」とともに、激しく雨が降ったり、雨あしの太い雨が降りしきる様子を表すのに、一葉が好んで用いた表現。
小川町の洽(かふ)集館(4)が南の方へ新らしく開きたる土地の下宿屋也。おのれこのとしまで、まだ下宿に人をとひたる事なければ、何となく心おくして入もえかねたれど、はつべきならねば、ねんじて、「半井うしやおはす」といひ入たり。はしたあやしげ気のお面もちして、「誰君(どなた)にや」と問ふ。我名を通じれば、「此方(こちら)へ」と伴ひ入られぬ。小やかなる間、幾間かしらず数多かり。うしのいませしは二階下の座しき(5)にて、二間に住居(すみゐ)給ふかとみゆるに、簟笥(たんす)などの並べあるは、「手廻りたる事よ」と心には思ひて、座につくほど、君は手紙したゝめ居給へりき。「暫し免(ゆる)させ給へ」とてかき終り給ふ。今日は洋装にて有たり。
(4)1882(明治15)年12月、東京市神田区表神保町1番地に創業した勧工場。勧工場は、明治期の初めに登場した、商品の陳列・即売場。現在のデパートに近い役割を果たした。洽集館は、1899年4月に店舗を改装し、南明館と改名された。
(5)2階と下の座敷。二間の両方を兼ねて用い、家財道具を入れていた。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
(二十六日)朝早く起きてみると空はいつのまにか黒雲で覆われていた。今日はきっと雨だろうと情けなく思っていると、母上は、「降るようならば行かないでいなさい」とおっしゃるが、私のための用事なのに、先生を空しく待たせるだけにするのは申し訳がない。強く降れば仕方がないが、大した雨ではないならば必ず行こうと思って支度していると、雲の切れ間が見え始めた。うれしい気持ちで家を出る。田町というあたたりまで行った頃、また黒雲が多くなり、俄に盆をかえすような大雨になった。今さら帰るわけにもゆかず、同じ濡れるのならと思って此処から車で行く。小川町の物産陳列場洽(こう)集館の南の方の新開地の下宿屋でした。
私はこの齢になるまで下宿に人を訪ねたことがないので何となく気おくれがして入りかねたけれど、そうもしておれず、決心して、「半井先生はいらっしゃいますか」と申し入れた。下女が不審な顔つきで、「どなた様ですか」と聞く。私の名前を言うと、「こちらへ」と案内された。小さな部屋を幾つか通って、先生の部屋は二階下の座敷である。二部屋続きで篁笥などもあり、行き届いたことだと思いつつ座につく。先生は手紙を書いておられたのですが、「ちょっと失礼」と言ってやがて書き終わられました。今日は洋服でした。
やがて、いつものおだやかな調子で、
「昨日はあまりよい天気だったので、今日が雨だとは思わず、手紙をあげたのは悪かったですね。それに、実は小宮山君も急に病気保養のため、今朝早く鎌倉へ発ったのです」
とひどく気の毒がっておっしゃる。小説のことについても親切に教えて下さり、
「この次はこんな小説を書いてみなさい。私もかねてから書いてみようと心組みしていたのですが、暇がなくてそのまま過ぎてしまいました。構想をこうしたならばきっと面白いだろう」
とおっしゃる。また、
「それよりも今日はまずあなたにお話したいことがあるのです」
とおっしゃる。何事だろうと思ってお尋ねすると、
「いや、 別に大したことでもないのだが、私はまだ老いぼれでもなく、 それに、また、あなたは年若い女性なのです。で、おつきあいをするのは甚だ具合が悪いのです」
と先生は本当に迷惑そうにおっしゃる。私はかねてから気にしていたことなので、顔は火のように熱くほてり、手の置き場もないほどの恥ずかしさで一杯でした。
先生は更に語をついで、
「そこで一計を案じたのです。それはこうです。私は、あなたを昔からの親友仲間の青年と見なして、あらゆるお話をしますので、あなたは、また、私を青年の男子と見ないで、同じ女性の友達と思って、遠慮なく思うことを話して下さい」
と言って、にこにこしていらっしゃる。また私の家が貧乏なこともご存知で、
「もし、 困ったことがあったら、何でも言ってよこしなさい。私で出来ることは、心の限りしてあげましょう」
とおっしやって、ご自分のこれまでの貧困の経歴などをすっかり話されるのを聞くにつけても、さまざまに思うことが湧いてくるのでした。またしてもお昼をしただいて帰る。先生のお話を聞けば、我が家の貧しさはまだ貧乏の中にも入らないようだ。先生のご経験の貧しさは、今の我が家以上のものだと思われました。
コメント
コメントを投稿