一葉日記「若葉かげ」⑧
きょうは、明治24年4月21日から、25日までの日記です。
廿一日夜、野々宮君、吉田君(1)参る。野々宮ぬしが役にて園遊会のもよふし有とやらんにて、其時持参らせ給ふ景物様のものゝ相談せばやとて来たらせ給ひし成き。同夜十一時頃帰宿さる。(1)妹邦子の友人である吉田実子とみられる。
此日、先の日の小説の続稿成たるをもて、「明日は桃水師のもとへまからん」とて、其夜清書すべかりしも、五回計かきたる程に、母君の、「あまり夜のふくれば、明日の事にせずや」との給にすまゝにやみぬ。
廿二日 例(いつも)の、午後(ひるすぎ)(2)よりなから井うしをとふ。種々(さまざま)のもの語りども聞えしらせ給ひて、「先の日の小説の一回、新聞にのせんには少し長文なるが上に、余り和文めかしき所多かり。今少し俗調に」と教へ給ふ。(2)正午から日没までの時間。「午」はうまの刻で、正午をいう。
「猶(なほ)さまざまの学者達をも紹介し参らせんなれど、いさゝかさわる所なきにしもあらねばやみぬ。されど、吾友小宮山即真居士(3)は良師ともいふべき人なれば、此君のみには引合せ参らせん」などの給ひ聞ゆ。
「昨夜かきたる丈の小説の添刪給へ」とて差置たるまゝ、此日は早う帰りぬ。人一度みてよき人も二度めはさらぬ(4)もあり。うしは先の日ま見え参らせたるより、今日は又親しさまさりて、「世に有難き人哉」とは思ひ寄ぬ。
(3)小宮山桂介(1855年 - 1930)。水戸藩士の子として生まれ、当時は東京朝日新聞の主筆を勤めていた。政治小説の書き手としても知られ、『聯島大王』(1887年)などがある。即真居士は、小説の筆名。
(4)そうでない。 それ以外の。
廿四日までに草稿名余(なごり)なくしたゝめぬ。あすは小石川(5)の稽古日也。其夜は中々にあわたゞしかりき。其夜、郵便して草稿は半井うしに送り参らせぬ。(5)東京・小石川の安藤坂にあった中島歌子(1844 - 1903)の歌塾「萩の舎」のこと。歌子は、15歳で水戸天狗党の林忠左衛門と結ばれるが、1864年の天狗党の乱で夫は戦死。歌子も捕らえられたが、出獄後、加藤千浪に入門。明治10(1877)年ごろ萩の舎を開いた。名士の子女らが集まり、全盛期には門弟が1000人をこえたという。稽古日は、毎週土曜日。明治25年以降は衰運にむかい、明治27年2月25日の一葉日記には「すきかへす人こそなけれ敷嶋のうたのあらす田あれにあれしを」とある。
廿五日 雨ふる。つとめて(6)小石川に行く。ひる頃より空名残なく晴て日かげ花やかに差入りぬ。今日は何となく物の手につかぬやうに覚ゆるは、何故成しや、おのれもしらず。暮々に帰宅す。其夜桃水師のもとより消息(たより)あり。「小説の事にももの語りあり。かつ先の日約し置し即真居士への紹介をもなすべければ、さわる事なからんには、明日午前(ひるまへ)より神田の表神保町俵(たはら)とかやいへる下宿までもうこよ」と也。母君にも計り参らするに、「行ね」との給ふ。今宵は、何となくむね打ふたがりて、ねぶるべき心地もせざりき。(6)早朝。朝7時ごろ。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から
二十一日。夜、野々宮さんと吉田さんが見える。野々宮さんが当番で、園遊会の時の余興の景品のことで相談したいといって見えたのでした。十一時頃帰られる。今日は、先日半井先生にお渡しした小説の続きができたので、明日お伺いするために、今夜のうちに清書を終える予定でしたが、五回分ほど書いたころ、母上が、「あまり夜がふけるから残りは明日になさい」とおっしやるので、中止して寝る。
二十二日。前回のように午後より半井先生をお訪ねする。色々のお話の後、 先生は、
「先日の小説の一回分は新聞に載せるのには少し長すぎるし、それに、あまりに古文調に過ぎる所が多いようだ。もう少し通俗的に書くようになさい。それから色々な小説家たちに紹介してあげようと思ったが、少し差し障る点がない訳でもないから、これは取り止めにした。然し、友人の小宮山即真居士はよい指導者だと思うの で、彼だけには是非紹介したいと思っている」
などとおっしゃる。昨夜清書した分の小説をお渡しし、添削をお願いして、今日はすぐ帰る。
人は、始め良いと思った人も二度目にはそれ程でもないこともあるのに、半井先生は先日お目にかゝった時よりも、今日はまた一層親しみ深く感じられて、こんなに立派な先生はめったにいらっしゃらないお方だと、しみじみ思ったのでした。
二十四日。今日までに小説の原稿すべて書き終わる。明日は萩の舎の稽古日。そのため夜は準備で忙しかった。夜、郵便で原稿を半井先生に送る。
二十五日。雨ふる。朝早くから萩の舎の稽古に行く。昼頃から空はすっかり晴れて華やかに日の光がさす。今日は何となく物事が手につかないような気がするのは、どうしてなのか自分にも分からない。夕方帰る。夜、桃水先生より便りが来る。小説のことについても話したいし、また先日約束の即真居士への紹介もしたいので、さしつかえがなかったら明日午前中に神田の表神保町の俵屋という下宿屋まで来てほしいとのことである。母上に話すと、「行きなさい」とおっしゃる。今夜は何となく胸一杯になって眠れそうもない。
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