一葉日記「若葉かげ」⑤

 一葉の明治24年4月11日の日記も、最後の部分です。

供(とも)なる男子(をのこ)どもゝ(1)酒など給ふほどなれば、「あとよりこよ」とて、師の君はじめ十三、四人して堤には来たりぬ。折しも日かげは西にかたぶきて、タ風少しひやゝかなるに、咲あまりたる花の三ッ二つ散みだるゝは、小蝶などのまふやうにみえてをかし。酔しれたる人の若き君たちにざれ言などいひかくるは、ろうがはしく(2)もいとにくし。 やうやう日の暮行(くれゆく)まゝに、それらの人はかげもとゞめず也にたれば、「今は心安し」とて花の木(こ)かげたちめぐり、おのがじゝざれかはすほどに、いつしか名残(なごり)なく暮はてゝ、川の面(おも)をみ渡せば、水上はしろき衣(きぬ)を引たるやうに霞みて、向ひのきしの火(ほ)かげ計(ばかり)かすかにみゆるも哀(あはれ)也。「いでや、まかりなんよ(3)。月だにあらばよかるべきよなんめるを、中々にうしろめたければ(4)」と師の君のゝ給ふも実(げ)に(5)ことわり、若き君たちのみなれば也。今しばしともいはまほしけれど、供の男子(をのこ)なども来てそゝのかせば(6)、いとをしけれど木かげ立(たち)はなれて車ものする折から、春雨少し降そめぬれば、「別れの涙にこそ」との給ひかはす。枕ばしまではもろとも成しが、こゝよりおのがじゝ行別(ゆきわかれ)給ふさま、まことに残りをしげなり。まことに春のうちの春ともいふべき日也と思ふにも、「今しばし空の晴なましかば」とおもはるゝは、かの蜀をのぞむ(7)とかいへる人心(ひとごころ)にや。

(1)車夫たち。集まった子女の多くは、常雇いの車夫に引かせる自家用人力車で来ていたとみられる。
(2)無作法で。「ろ(ら)う」は「乱」の字音「らん」の「ん」を「う」と表記したところからきている。
(3)さあ、帰りましょうよ。
(4)帰りが気がかりなので。どうなるか不安で。
(5)まことに、まあ。まさに。
(6)さそい入れるので。
(7)望蜀。隴(ろう)を得て蜀を望む。「後漢書―岑彭(しんほう)伝」に載っている話から。魏の司馬懿(しばい)が隴の地方を平定し、勝ちに乗じて、蜀を攻め取ろうとしたとき、曹操が答えたことば。一つの望みを遂げるとさらにその上を望むこと、欲望には限りがないことのたとえ。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

「日も暮れ方になったので、 お琴に心は残りますが、花の木かげも暗くなるといけないから、さあ、そろそろ出かけましょうよ」と先生がおっしゃる折も折、龍子さんと静子さんが戻って来られた。かとり子さんは、もうしばらくとおっしゃったが、おいとましました。お供の男たちにはお酒が出る頃だったので、あとから来るようにと言って、先生をはじめ十三、 四人で堤に来ました。丁度日は西に傾いてタ風も冷たく、花がはらはらと散るのは小蝶が舞うように見えてすばらしい。花見酒に酔った人が、若いお嬢さん方にふざけかかったり、無礼で憎らしいことでした。次第に日が暮れて行くと、そんな人もいなくなり、もう安心と、花の木かげを歩き廻り冗談を言い合ったりしているうちに、すっかり暮れてしまい、隅田川は白い布を引いたように霞んで、対岸の灯がかすかに見えるのも感銘深い思いでした。

「もう帰りましょう。月でもあればもっとよいのに。しかし、女ばかりではかえってむ配で」
と先生がおっしゃるのももっともな事でした。若いお嬢さんばかりですから。今しばらくと言いたいところですが、供の男たちも来てせきたてるのでした。木かげを出て車を呼ぶ頃に春雨が少し落ちて来たので、別れの涙などと言い合ったりしました。枕橋までは一緒でしたが、そこで互いに別れるのはまことに心残りでした。今日は本当に春の中の春とも言える日だったと思うにつけても、今しばらく晴れていてくれたらと思うのは、「隴を得て蜀をのぞむ」 という欲深い心でしょうか。

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