一葉日記「若葉かげ」②

一葉の日記「若葉かげ」は、明治24年4月11日、萩の舎の先輩に花見の宴に招かれたところからはじまります。
  

吉田家花見集会

卯月(うづき)十一日(1) 吉田かとり子ぬし(2)澄田川(すみだがは)(3)の家に花見の宴に、招かるゝ日也(なり)。友なる人々は、師の君のがり(4)つどひて共に行き給ふもおはしき。おのれは、妹のたれこめ(5)のみ居て春の風にもあたらぬがうれたければ(6)、「いでや(7)ともに」などそゝのかして(8)誘ひ出ぬ。花ぐもりとかいふらんやうに、少し空打霞(うらかす)みて日のかげのけざやかならぬ(9)もいとよし。


(1)明治24年4月11日。
(2)萩の舎の先輩で、実業家の妻。当時47歳で4人の子の母。「ぬし」は、人名や呼称に付けて、軽い敬意を表す尊称。
(3)隅田川。
(4)師である中島歌子の小石川の家に。「がり (許)」は、…のもと、…の所の意。
(5)簾や帳をおろして室内にこもる。家に閉じこもる。
(6)しゃくなので。いまいましくて。
(7)さあ。どれ。
(8)せき立てて。よい事だからとすすめて。
(9)鮮明でない。はっきりしていない。

「上野の岡はさかり過ぬとか聞つれど、花は盛りに月はくまなきをのみ愛(めづ)るものかは(10)。「いでやその散(ちり)がたの木かげこそをかしからめ」といへば、「ならびが岡の法師(11)まねび(12)にや」といもうとなる人は打ゑみぬ。さすがに面なくて(13)得いわず成ぬるもをかし。我すむ家(14)より上野の岡は遠きほどにてもなかりければ、まだ朝露のしけきほどに来にけり。聞けんやう(15)にもあらず。清水(きよみづ)の御堂(みだう)(16)の辺(ほと)りこそ大方(おほかた)うつろひたれど、権現(ごんげん)の御社(おやしろ)(17)の右手の方など若木ながらまださかり也き。 さと吹(ふく)朝風のひやゝかなるに、ぬれたる花びらのふゞきと計散(ばかりちり)みだるゝはいとをしくて、「おほふ計の袖もがな(18)」といはまほし(19)けれど、「例(いつも)の」と笑はれんがうしろめたくてやみぬ。


(10)『徒然草』137段「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、・・・・・・」を引いている。
(11)『徒然草』を書いた吉田兼好を指す。京都・御室の双ケ岡に住んでいたことがあった。
(12)まね。
(13)面目なくて。恥ずかしくて。
(14)本郷菊坂町にあった。
(15)聞いていた様子。
(16)徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の清水観音堂のこと。上野公園の不忍池に臨んでたち、京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂。
(17)上野東照宮。徳川家康を「東照大権現」という神様としてまつっている。
(18)『後撰集』(詠み人知らず)の「大空に覆ふばかりの袖もがな 春咲く花を風に任せじ(大空に桜をおおうような袖があればいいのに。春に咲く桜の花を風に任せて散らせたくはないものだ)」による。
(19)言いたい。

 澄田川にも心のいそげば、をしき木かげたちはなれて車坂(20)下(くるまざかくだ)るほど、「こゝは、 父君の世にい給ひし頃(21)、花の折としなれば、いつもいつもおのれら(22)ともなひ給ひて、朝夕立(たち)ならし(23)給(たまひ)し所よ」とゆくりなく(24)妹のかたるをきけば、むかしの春もおもかげにうかぶ心地して、

   山桜ことしもにほふ花かげに
       ちりてかへらぬ君をこそ思へ

「心細しや」などいふまゝに、朝露ならねど二人のそではぬれ渡りぬ。


(20)いまの東京文化会館付近からJR上野駅へあたりへ下る坂。
(21)父の則義は事業に失敗した心痛がもとで病状が進み明治22年7月に死去。享年58歳。(22)わたしたち。
(23)たびたび訪れ。
(24)思いがけず、偶然に。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


四月十一日。吉田かとり子さんの隅田川の家での花見の宴に招かれる。友達のなかには先生の所に集まって一緒に行かれる方もあった。私は妹が家にばかりいて春の風にも当たらないのが気になるので、「さあ一緒に」などとそそのかして誘い出して家を出る。花ぐもりとでもいうのでしょうか、上野の丘はもう盛りは過ぎてしまったと聞いていたが、
「花は満開のときだけを、また月は満月だけを見なくてもよいでしょう。かえって散りかけた桜にこそ風情があるのでしょう」
と言うと、
「兼好法師の真似ですか」
と妹は笑っていた。それからは恥ずかしくなってもう何も言えなくなってしまいました。

私の家から上野の丘はさほど遠くもないので、まだ朝露が残っていた。噂ほどでもなく、清水の御堂あたりはほとんど散ってしまっていたが、東照宮の右手の方は、若木ですがまだ盛りでした。さっと吹くつめたい朝風に花びらがまるで吹雪のように散り乱れるのは大変可憐で、

大空におほふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ

という歌を言いたかったのですが 、「またですか」と笑われるのもしゃくで、ロに出さないでしまいました。
隅田川の吉田さんの家にも早く行かねばと心急がれて、桜に心を残しつつ車坂を下る。
「この附近は父上がいつも花の頃は、私たちを連れて朝夕よく来られた所でしたね」と、ふと妹が話すのを聞いて、あの頃の春の景色が思い出されて、
「山桜ことしもにほふ花かげに散りてかへらぬ君をこそ思へ
寂しくなってしまったね」
などと話しながら、二人で涙を流したことでした。

コメント

人気の投稿