一葉日記「若葉かげ」①

 きょうから、一葉の日記から「若葉かげ」を読んでいきます。明治24年4月から5月にかけて、一葉が19歳のときにつづられた日記で、晩年までつづく雅俗折衷文による日件録様式が確定した最初の作品と位置づけられています。

花にあくがれ月にうかぶ(1)折々のこゝろをかしきもまれにはあり。 おもふこといはざらむは腹ふくるゝてふたとへ(2)も侍(はべ)れば、おのが心にうれしともかなしともおもひあまりたるをもらすになん(3)さるは(4)、もとより世の人にみすべきものならねば、ふでに花なく文(ふみ)に艶(つや)なし。たゞ其(その)折々をおのづからなるから、あるはあながちに(5)ひとりぼめして今更におもなき(6)もあり、無下(むげ)にいやしうてものわらひなるも多かり。名のみことごとしう若葉かげなどいふものから(7)、行末(ゆくすゑ)しげれの祝ひ心には侍らずかし。

  卯のはなの(8)うきよの中のうれたさ(9)に 
      おのれ若葉のかげにこそすめ =(10)


(1)花に心を奪われ月に浮かれる。こうした風流な遊びに興じる折々の楽しみも、憂苦の日々のなかに、たまにはあるが。
(2)腹がふくれる、つまりうっぷんが積ることのたとえ。『徒然草』19段の「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。」による。
(3)もらすのだけれど。「なん」は係助詞で、活用語を略して余情を出している。
(4)そうではあるが。そうはいうものの。逆接の接続詞。
(5)強引に。無理やり。
(6)恥ずかしさ。
(7)…ものの。…のに。
(8)「憂き世」にかかる枕詞。
(9)つれなさ。嘆かわしさ。
(10)白い花をつけた卯の花の葉かげに隠れて郭公が冥途のたよりを告げて鳴くように、私は身の上のなげかわしさに、厭世的な気持でこの日記を書いている。=『一葉全集』(小学館)脚注から。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


花にあこがれ、月に浮かれて、折々は風流を感じることもあるのです。「思うことを言わないのは腹が膨れる感じがする」というたとえもあるので、私の心に嬉しいとも悲しいとも、思いの溢れることを書き記すことにします。とは言っても、もともとは人に見せるべきものではないので、筆には花の美しさも無く、文章にも色艶もない。ただその折々の思いつきをそのまま書くので、ときには独り善がりで恥ずかしいこと、また、ひどく下品で物笑いの種になるものも多いことでしょう。題名だけは大げさに「若葉かげ」などとつけましたが、これは決して将来の発展を願うなどといった意味ではなく、ただ若葉のかげに住んでいるという意味です。

  卯の花のうき世の中のうれたさにおのれ若葉のかげにこそ住め

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