うつせみ⑩

「うつせみ」もいよいよ最終回。八月中旬になると雪子の狂気は激しくなり、泣く声が絶えなくなります。そして次第に、細くよわり果てていくようです。

つとめある身なれば、正雄は日毎《ひごと》に訪《と》ふ(1)事もならで、三日おき、二日おきの夜な夜な、車を柳のもとに乗りすてぬ。雪子は喜んで迎へる時あり、泣いて辞す(2)時あり、稚子《おさなご》のやうになりて正雄の膝を枕にして寐《ね》る時あり。誰《た》が給仕にても箸《はし》をば取らずと我儘《わがまま》をいへれど、正雄に叱《しか》られて同じ膳の上に粥《かゆ》の湯(3)をすする事もあり。「癒《なほ》つてくれるか」「癒りまする」「今日癒つてくれ」「今日癒りまする。癒つて兄様《にいさん》のお袴《はかま》を仕立て上げまする。お召《めし》(4)も縫ふて上げまする」「それは辱《かたじけな》し。早く癒つて縫ふてくれ」と言へば、「さうしましたらば植村様を呼んで下さるか、植村様に逢はして下さるか」「むむ(5)、逢はしてやる、呼んでも来る、はやく癒つて御両親に安心させてくれ、よいか」と言へば、「ああ、明日《あした》は癒りまする」と憚《はばか》りもなく(6)言ひけり。
(1)毎日訪ねる。
(2)断る。
(3)重湯(水分を多くした粥の上澄み液)。
(4)お召物(着物の敬称)。
(5)ことばにつまったときなどに発する応諾の語。
(6)気をつかうことなく。

正《まさ》しく言ひしを(7)心頼みに、あるまじき事とは思へども、明日《あす》は日暮も待たず車を飛ばせ来るに、容体ことごとく変りて(8)、何を言へども嫌々とて人の顔をば見るを厭《いと》ひ、父母をも兄をも女子《おなご》どもをも寄せつけず、「知りませぬ、知りませぬ、私は何も知りませぬ」とて打泣くばかり、家の中《うち》をば広き野原と見て(9)行く方なき歎《なげ》き(10)に人の袖をもしぼらせぬ。
(7)正気で言ったことを。
(8)すっかり一変して。
(9)家の中を広い野原だと思って。「にごりえ」の最後のほうに「夫婦あらそひの軒先などを過ぐるとも、唯我れのみは広野の原の冬枯れを行くやうに、心に止まる物もなく、気にかゝる景色にも覚えぬは、我れながら酷く逆上て人心のないのにと覚束なく、気が狂ひはせぬかとどまる途端、お力何処へ行くとて肩を打つ人あり。」と描かれているお力が思う気持ちに通じるところがある。
(10)だれもいない「広き野原」に迷い込んだように、どうしたらいいか分からない悲嘆。
俄《には》かに暑気つよくなりし八月の中旬《なかば》より、狂乱いたく募りて、人をも物をも見分ちがたく、泣く声は昼夜に絶えず、眠《ねぶ》るといふ事ふつに(11)なければ、落入たる(12)眼《まなこ》に形相《ぎやうさう》すさまじく、この世の人とも覚えずなりぬ。看護の人も疲れぬ、雪子の身も弱りぬ。きのふも植村に逢ひしと言ひ、今日も植村に逢ひたりと言ふ。川一つ隔てて姿を見るばかり、霧の立おほふて朧気《おぼろげ》なれども、明日《あした》は明日はと言ひて、又そのほかに物いはず(13)
いつぞは(14)正気に復《かへ》りて夢のさめたる如く、父様《ととさま》母様《かかさま》といふ折のありもやすと、覚束《おぼつか》なくも(15)一日《ひとひ》二日《ふつか》と待たれぬ。空蝉《うつせみ》はからを見つつもなぐさめつ(16)あはれ(17)、門《かど》なる柳に秋風のおと聞えずもがな。

(11)ふつ(都)に。下に打消しの語を伴って、まったく、全然。
(12)落ちくぼんだ。
(13)植村に寄せるやるせない思いを雪子の言葉で表白している。「そのほかに」からは、狂気が進んだ雪子の頭に去来するのが、ただ植村の幻だけであることが伝わってくる。
(14)いつかは。
(15)折もあるかもしれないと、心もとなくはあるけれど。
(16)『古今集』(哀傷、831)僧都勝延の「空蟬は殻を見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て」(せみのぬけ殻を見てしのぶように、火葬される前の亡骸を見て気持を慰めていたが、いまや亡骸もないので、深草の山よ、せめて煙だけでも立ててくれ)による。
(17)感動詞で、ああ、あれ。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『現代語訳・樋口一葉 にごりえ』(河出書房新社、2022.4)[訳・角田光代]から


仕事かある身なので毎日というわけにはいかないが、 三日おき、二日おきと正雄はやってきて、揺れる柳の下で車を下り、 門をくぐる。雪子は喜んで迎えるときもあれば、泣きじゃくりながら会いたくないと言い張るときもあり、またときには幼い子供のように正雄の膝を枕にして眠ることもあった。だれが食事を運んできても食べないとわかままを言っていたか、 正雄に叱られ、同じ膳の上、粥をすすることもある。

なおってくれるか、言ってもしかたのないこととどこかで思いなからそれでも正雄がそう訊くと、なおりますと雪子は答えた。
「今日なおってくれ」
「今日なおります。 なおってにいさんの袴を仕立ててあげましょう、それから、お着物も縫ってあげましょう」
「それはありがたい。 早く縫ってくれ」
正雄がそう言うと、
「そうしたら植村さんを呼んでくださいますか、植村さんに会わせてくださいますか」
雪子は見開いた目で正雄を見上げる。その透きとおった瞳を見つめて正雄は答える。
「ああ会わせてやる、呼んできてやる。だから早くなおって、ご両親を安心させてやってくれ」
「ええきっと、明日はなおります」
雪子はためらいがち に、けれどもきつばりとそう言うのだった。

そんなことはないと思いながらも、本人がなおると自分の口から言ったのだからと、次の日、正雄は淡い期待を胸に、日暮れまで待てずに車を飛ばしてやってきた。けれど、明日はなおりますと答えたゆうべの様子は一変していて、だれが何を言ってもいやいやと首をふるだけ、人と顔を合わせることすらいやがって、父も母も兄も、女中たちまで寄せつけず、知りません、知りません、私は何も知らないんですとただ泣くばかり、広い荒野にたった一人残され、四方を絶望だけに囲まれて立ち尽くす小さな子供のようなその姿に、見ているこちらも知らず知らず涙ぐんでしまう。

急に日ざしの強くなった八月のなかばごろから、雪子は狂乱することが多くなり、人ばかりかものですらよく見分けがつかなくなってきて、泣き声は昼も夜もやむことがなく、一睡も眠らないようになってしまった。目は落ちくぼみ頬はこけ、そのすさまじい形相はとても生きている人間とは思えない。看護の人も疲れ果て、雪子の体は弱りきり、昨日も植村に会ったと言い、今日も植村に会ったと言う。植村は川向こうにぼんやり立っている、霧がたちこめてその姿はかすんでいるけれど、明日は、明日は、とそれだけ言って口を閉ざし、じっと黙ってこちらを見ているのだという。

まるで今まで長い夢を見ていたように、突然正気に戻って、とうさん、かあさん、そう言って笑う日が来るのではないか、不安でたまらないけれどそれだけを信じて一日、二日と待ってしまう。「空蝉(うつせみ)はからを見つつもなぐさめつ」という古い歌のように、心がここになくてもかまわない、せめて雪子の姿だけでも見ていたいと願ってしまう。

門先にゆらりゆらりと柔らかく揺れる柳を眺め、この柳の葉は秋風が吹くころになれば散ってしまうのだと両親はぼんやり思う。ずいぶん高くなった空を見上げ、ひらりと風に落ちていく葉のように、雪子がこの世から消えてしまうことのないようにと祈り続ける。

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