十三夜③

「十三夜」のつづき。おりしも十三夜、実家を訪れたお関は、いそいそと迎える両親を見て、聟(むこ)の原田から離縁状をもらってほしいという思いを言い出しかねています。 

「今宵《こよひ》は旧暦の十三夜(1)旧弊なれど(2)お月見の真似事に団子《いしいし》(3)をこしらへてお月様にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助《ゐのすけ》に持たせて上《あげ》やうと思ふたれど、亥之助も何か極《きま》りを悪るがつて其様《そのやう》な物はお止《よし》なされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見《かたつきみ》(4)に成つても悪るし、喰《た》べさせたいと思ひながら思ふばかりで上《あげ》る事が出来なんだに、今夜来て呉れるとは夢の様な、ほんに心が届いたのであらう、自宅《うち》で甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは(5)又別物、奥様気《おくさまぎ》を取《とり》すてゝ今夜は昔しのお関になつて、見得《みえ》を構はず豆なり栗なり気に入つたを喰べて見せておくれ。

いつでも父様《とゝさん》と噂すること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位の宜《い》い方々や御身分のある奥様がたとの御交際《おつきあひ》もして、兎《と》も角も原田の妻と名告《なのつ》て通るには気骨《きぼね》の折れる事(6)もあらう、女子《をんな》ども(7)の使ひやう出入りの者の行渡《ゆきわた》り(8)、人の上に立つものは夫《そ》れ丈《だけ》に苦労が多く、里方《さとかた》が此様《このやう》な身柄では(9)猶更《なほさら》のこと人に侮《あなど》られぬやうの心懸《こゝろが》けもしなければ成るまじ、夫れを種々《さまざま》に思ふて見ると父《とゝ》さんだとて私だとて孫なり子なりの顏の見たいは当然《あたりまへ》なれど、餘《あんま》りうるさく出入りをしてはと控《ひか》へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子《けじゆす》の洋傘《かふもり》(10)さした時には見す見すお二階の簾《すだれ》を見ながら、吁《あゝ》お関は何をして居る事かと思ひやるばかり行過《ゆきす》ぎて仕舞まする、実家でも少し何とか成つて居たならばお前の肩身も広からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を(11)、何を云《い》ふにも此通《このとほ》り、お月見の団子《いしいし》をあげやうにも重箱《おぢう》からしてお恥かしい(12)では無からうか、ほんにお前の心遣《こゝろづか》ひが思はれる」

と嬉《うれ》しき中にも思ふまゝの通路(13)が叶はねば、愚痴の一トつかみ賤《いや》しき身分を情《なさけ》なげに言はれて、本当に私は親不孝だと思ひまする、それは成程《なるほど》和《やは》らかひ衣類《きもの》(14)きて手車(15)に乗りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、父《とゝ》さんや母《かゝ》さんに斯《か》うして上《あげ》やうと思ふ事も出来ず、いはゞ自分の皮一重《かはひとえ》(16)、寧《いつ》そ賃仕事(17)してもお傍《そば》で暮した方が餘《よ》つぽど快《こゝろ》よう御座いますと言ひ出すに、

「馬鹿、馬鹿、其様《そのやう》な事を仮にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が実家《さと》の親の貢《みつぎ》(18)をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家《うち》に居る時は斎藤の娘、嫁入つては原田の奥方ではないか、勇《いさむ》さん(19)の気に入る様にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ丈の運のある身(20)ならば堪へられぬ事は無い筈《はづ》、女などゝ言ふ者は何《ど》うも愚痴で(21)、お袋などが詰《つま》らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何《ど》うも団子《だんご》を喰べさせる事が出来ぬとて一日大立腹《おほりつぷく》であつた、大分《だいぶ》熱心で(22)調製《こしらへ》たものと見えるから十分に喰べて安心させて遣《や》つて呉れ、餘程《よほど》甘《うま》からうぞ」

と父親《てゝおや》の滑稽《おどけ》を入れる(23)に、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂戴《ちようだい》をなしぬ。 

*朗読は、下記の「いちようざんまい」にて、どうぞ。





(1)月の満ち欠けを基礎とした陰暦の9月13日夜。明治5年12月3日を6年1月1日として太陽暦に改められたが、年中行事を中心とした生活暦として用いられてきた。
(2)古くさい習慣だが。
(3)「いし」は、(味が)よい、うまい、おいしいの意の古語。「いしいし」は、女官が衣食住などに関する物事について使った女房詞で、団子のことをいう。
(4) 八月十五夜、九月十三夜のうちどちらか一方の月見しかしないこと、また、八月十五夜の月見に招かれて、九月十三夜の月見に招かれないことをいい、忌むべきこととされた。原田の家では月見の行事などをしない、両家の生活スタイルの違いがうかがえる。
(5)こしらえたものは。
(6)気苦労、気疲れのすること。
(7)女中たち。
(8)もれなく気くばりをする。
(9)「身柄」は、身分の程度。実家がこのように貧しい状態では。
(10)「毛繻子」は、綿糸と毛糸で織った滑らかで光沢のある織物。傘としては絹張りよりは粗末。
(11)「同じくでも」は、前段の「人の上に立つものは・・・」を受けて、苦労の多いうちにも、少しはほっとすることもできようが。
(12)粗末な品だからこういっている。
(13)行き来。
(14)手ざわりのやわらかい絹の着物。
(15)自家用の人力車。
(16)自分の表面を飾るだけで、親の生活の手助けに少しもなれないことをいう。
(17)裁縫などの手内職。
(18)仕送り。
(19)聟(むこ)の名前。
(20)身分のある人の妻になったことそ示す。
(21)愚痴っぽくて。
(22)熱心に。腕によりをかけて。
(23)つい言い出しかねて(「原田から離縁状をもらってほしい」と)。
(24)ごちそうになってしまった。

●現代語訳=『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出文庫、2008.1、篠原一訳、p.146-150)から

「今夜は旧暦の十三夜、昔ながらの習慣だけどお月見のまねごとにお団子をこさえてお月さまにお供え申し上げました。これはお前も好物だからすこしでもいいから亥之助にもたせてあげようと思っていたのだけれど、亥之助もなんかきまりが悪いらしくってそんなものは止(よ)せと云うし、十五夜にあげないんだから片月見になっても縁起が悪いから、食べさせてあげたいと思いながらも思うだけであげることが出来なかったのです。なのに、今夜来てくれるとは夢のようだ。ほんとうに心がとどいたのだろう。原田さんの家では甘いものなんかいくらでも食べられるだろうけど親の拵(こしら)えたものはまた別、奥さま気質(かたぎ)を捨てて今夜はわたしたちの娘だった頃の昔のお関になって、見栄なんかかまわずに豆なり栗なり好きなものを食べてみせておくれ。いつでもお父さんとお話しているのですよ、お関の結婚は出世にちがいなく、けれど、人の見る目も立派なぶん、上流のお位の良い方や身分のある奥様方とのおつきあいもして、とにかく原田の妻を名乗っていることにも気苦労のかかることもあるだろう。女中や下女の使いよう、出入りのものたちへの気くばり、人の上にたつものにはそれだけ気苦労が多い。しかも、実家がこのような貧しい身の上では尚更、他人(ひと)さまに侮られないよう心がけもしなければならないだろう。それをつくづく思っているとお父さんもわたしも孫の顔は見たいけれど、あんまりうるさく出入りしてはお前の足をひっぱるから訪ねてゆくのも自然とひかえられて、ほんの玄関先をとおるようなことはあっても木綿の着物に毛繻子のこうもり傘をさしているときにはみすみすお二階の簾を見ながら、ああお関は何をしているのだろう、と思うだけでゆきすぎてしまうのですよ。この家がも少しなんとかなっていたら、お前の肩身も広かろうし、同じように嫁いでいてももう少し気楽に出来るものを、何を云ってももの通り、お月見のお団子をあげようにも重箱からしてみすぼらしいものだから」

というように、ほんとうにわたしへの親らしい心遣いが感じられて嬉しいなかにも、思いのままの暮らしが出来ないだけで愚痴の少しのなかにも賤しい身の上を情けなげに云うわれてしまう・・・・・・その時、わたしのなかで哀しさが極まり、なにかがはじけた。ほんとうにわたしは親不孝ものだと思います、それはなるほどやわらかい上質の衣類を身にまとって手車(くるま)にのってあるく時は立派らしくも見えるでしょう。けれど、御父様や御母様にこうしてあげようと思うこともできなくて、云ってみれば原田の妻というのは自分の上ッ面のお話、薄皮一枚、いっそ賃仕事でもして御父様御母様のおそばで暮らした方がよっぽど気分が晴れるかと思います、と云ってしまった。

父親は声を荒げた。
「馬鹿馬鹿、そんなことは仮にも云ってはいけない。嫁にいった娘が実家の両親に貢ぎ物をするなんて考えられないことだ。実家にいるときは斎藤の娘、嫁にいった原田の奥方、女とはそういうものではないのか。お前が勇さんの気に入るようにして家の中を万端ととのえてゆきさえすれば何の困ったこともありはしない。骨が折れると云っても、こんな貧しい家から原田さんのような大きなお家へ嫁げただけの強い運のあるお前の身なら耐えられないことはないだろう。女などというものはどうも愚痴っぽくて、お袋などがつまらんことを云いだすから困る」

いやなに、団子を食べさせることが出来ないからと云って一日、いやにイライラしてたのさ、だいぶ熱心に拵えたようだから十分に食べて安心させてやってくれ、よっぽどうまいだろうよ、と父親がとりつくように滑稽(おどけ)るから、離縁状のことをふたたび云いそびれて、云われるままにごちそうの栗枝豆を有り難く頂戴してしまった。




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