雪の日①

きょうから「雪の日」に入ります。初出は『文学界』第3号(明治26年3月31日)ですが、腹案は明治25年2月4日に雪の降る中を半井桃水を訪ねた時点にさかのぼります。日記に「雪の日一編あまばやの腹稿成る」と書きとどめています。

見渡すかぎり地は銀沙(1)を敷きて、舞ふや蝴蝶(こてふ)の羽(は)そで軽く(2)枯木も春の六花(りくくわ)(3)の眺めを、世にある人は歌にも詠み詩(からうた)にも作り、月花に並べて(4)称(たた)ゆらん浦山(うらやま)しさよ。あはれ忘れがたき昔しを思へば、降りに降る雪くちをしく悲しく、悔(くい)の八千度(やちたび)その甲斐もなけれど(5)、勿躰(もつたい)なや、父祖累代墳墓(みはか)の地を捨てゝ、養育の恩ふかき伯母君(をばぎみ)にも背(そむ)き、我が名の(6)に恥かしき今日(けふ)、親は瑕(きず)なかれとこそ名づけ給ひけめ、(7)に劣る世を経(へ)よとは思(おぼ)しも置かじを、そもや谷川の水おちて流がれて(8)、清からぬ身に成り終りし、そのあやまちは幼気(おさなぎ)の、迷ひは我れか、媒(なかだち)は過ぎし雪の日ぞかし。

(1)『和漢朗詠集』にある白居易の「銀河沙(いさご)漲(みなぎる)三千里」(一面に降り積もった雪は天の川の白い銀沙を三千里にわたって敷きつめたようで)に拠るイメージ。
(2)雪がひらひら舞い落ちる様子を蝴蝶(チョウ)の羽にたとえている。「羽そで(羽袖)」は袖を羽に見立てている。
(3)『古今集』巻六(冬)の紀貫之の歌に「雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける」(雪が降ると、冬ごもりしている草も木も、春に知ることのできない花が咲いたようだ)。「六花」は雪の別称。
(4)雪月花。冬の雪、秋の月、春の花。四季の自然美の総称として用いる。
『古今集』の閑院の歌に「さきだたぬくひのやちたび悲しきはながるる水のかへりこぬ也」(5)先に立たない後悔が、繰り返し思いだされて悲しいのは、流れる水がもとに戻ってこないように、亡くなった人がもとに戻らないことだ)に拠る。
(6)この物語の女主人公の名。
(7)「珠(玉)」に対して、価値のないもののたとえ。
(8)『風雅集』巻一七の大江広秀の歌「みなかみのすめるをうけて行く水の末にもにごる名をば流さじ」を踏まえている。

我が故郷は某(それがし)の山里、草ぶかき小村なり、我が薄井(うすゐ)の家は土地に聞えし名家にて、身は其(その)一つぶものなりしも、不幸は父母はやく亡(う)せて、他家(ほか)に嫁ぎし伯母の是れも良人(をつと)を失なひたるが、立帰りて我をば生(おほ)したて給ひにき。さりながら三歳(みつ)といふより手しほに懸け給へば、我れを見ること真実(まこと)の子の如く、蝶花(てふはな)の愛(9)、親といふともこれには過ぎまじく、七歳(ななつ)よりぞ手習ひ学問の師を撰(え)らみて、糸竹(いとたけ)の芸は御身(おんみ)づから心を尽くし給ひき。さてもたつ年に関守なく(10)腰揚(あげ)とれて(11)細眉つくり(12)、幅びろの帯うれしと締しめしも、今にして思へばその頃の愚かさ、都乙女の利発には比らぶべくも非らず。姿ばかりは年齢(とし)ほどに延びたれど、男女(なんにょ)の差別(けじめ)なきばかり幼なくて、何ごとの憂きもなく思慮もなく、明し暮らす十五の冬、我れさへ知らぬ心の色を何方(いづこ)の誰れか見とめけん(13)、吹く風つたへて伯母君(そばぎみ)の耳にも入りしは、これや生れて初めての、仇名(あだな)ぐさ、恋すてふ風説(うはさ)なりけり(14)

(9)蝶よ花よ。子をひととおりでなくいつくしみ愛するさま。
(10)年が経つのを食い止めることはできない。
(11)着丈を調節するため腰の部分を縫いあげる腰揚をとるのは、珠が子どもから娘に成長したことを意味している。
(12)細く長い三日月形の眉をつくり。
「心の色」は、心の有様、特に心に深く思いそめているさま。つまり恋心のこと。『拾遺集』の平兼盛の歌「忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(心に隠していたけれど、私の恋心は顔色に表れてしまっていたのだなあ。物思いをしているのですかと人がたずねるほど)」をふまえている。
(14)仇名ぐさ(アダナグサ)は、はかなく散り急ぐところから、桜の異名だが、ここでは、浮き名、色好みの意。『拾遺集』の壬生忠見の歌に「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人しれずこそ 思ひそめしか(私が恋をしているという噂が、もう世間の人たちにひろまってしまった。他の人に知られないように密かに想いはじめたところなのに)」


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『現代語訳・樋口一葉 闇桜・ゆく雲他』(河出書房新社、1997.2)[訳・山本昌代]から

見渡すかぎり地は銀砂を敷いて、雪は胡蝶の羽のように舞い、枯木に春の花の咲いたようなこの眺めを、世の人は歌にも詠み詩にも作り、月花に並べて称えるといううらやましさよ。あわれ忘れがたい昔を思えば、降りしきる雪くちおしく悲しく、 悔の八千度その甲斐もないが、もったいなや父祖累代墳墓(みはか)の地を捨てて、養育の恩ふかい伯母君にも背き、我が名の珠というのも恥かしい今日、親は瑕(きず)なかれとこそ名付け給うたであろうものを、瓦に劣る生き様をなせとは思われもしなかったであろう。谷川の水おちて流れて、清からぬ身になり終った、その過ちは幼気の我が迷いからか、媒(なかだち)は雪の日だった。

我が故郷はある山里、草深い小村、我が薄井の家は土地に聞えた名家で、我が身はその一人娘であったが、不幸にも父母ははやく世を去り、他家に嫁いだ伯母の、これも良人を失い、家に戻って私を育てて下さった。実母ではないが、三歳の時より手塩にかけたため、 私を見ること真実の子のようで、蝶花の愛親といえどもこれには過ぎるまいと思われた。七歳より手習い学問の師を選び、糸竹(いとたけ)の芸は御身すから心を尽しなされた。さても経つ年に関守はなく、いつか私も腰揚がとれ、細眉をつくるようになり、幅びろの帯をうれしと締めたのも、今にして思えばその頃の愚かさ、都育ちの乙女の利発さには比ぶべくもなく、姿ばかりは年齢(とし)ほどに延びたが、 男女のけじめもわからぬほど幼く、何ごとの憂きもなく思慮もなく明し暮らす十五の冬、我さえ知らぬ心の色をどこの誰がみとめたか、吹く風つたえて伯母君の耳にも入ったのは、これぞ生まれて初めての浮き名、恋をしているという噂だった。

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