闇桜②

 園田家の跡をついだ二十二歳の学生の良之助、中村家の十六歳の中村家の可愛い一人娘千代。幼いころから兄妹のように仲がよい二人は、二月半ばのある夕暮時、連れだって摩利支天の縁日に出かけます。

此方《こなた》に隔てなければ彼方《あちら》に遠慮もなく、くれ竹の(1)よのうきと云ふ事、二人が中には葉末《はずゑ》におく露ほども(2)知らず、笑ふて暮らす春の日もまだ風寒き二月半ば、梅見て来んと、夕暮(3)摩利支天《まりしてん》(4)の縁日に連ぬる袖も温《あたゝ》かげに、
「良さん、お約束のもの忘れては否《いや》よ」
「アヽ大丈夫、忘すれやアしなひ。併《しか》しコーツと何んだツけねへ」
「あれだものを。出かけにもあの位《くらゐ》願つておいたのに」
「さうさうおぼえてゐる。八百屋お七(5)機関《からくり》(6)が見たいと云つたんだツけ」
「アラ否《いや》。嘘《うそ》ばつかり」
「それぢやア丹波の国から生捕《いけど》つた荒熊《あらくま》でござい(7)の方か」
「どうでもようございますよ。妾《わたし》はもう帰りますから」
「あやまつたまつた、今のはみんな嘘。どうして中村の令嬢《れいぢやう》千代子君とも云《いは》れる人が、そんな御注文をなさらう筈《はず》がない。良之助たしかに承《うけたま》はつて参つたものは」
「ようございます、何も入《い》りません」
「さう怒《おこ》つてはこまる、喧嘩しながら歩行《あるく》と往来《わうらい》の人が笑ふぢやアないか」
(1)枕詞。呉竹の節(よ)の意味で、「節(よ)」と同音か、同音を含む「世」「夜」「よる」にかかる。また、竹の節(ふし)の意で、「節(ふし)」と同音か同音を含む「ふし」「伏し」「伏見」にかかる。
(2)「葉末」(葉のさき)は「くれ竹の」の縁語。「おく露」には、「少しも」の意の「露ほども」もかかっている。
(3)「言う」と「夕暮」をかけている。浄瑠璃などで使われる修辞法。
(4)陽炎を神格化した女神。ここでは、俗称で摩利支天と呼ばれる大徳寺(台東区上野)を指している。
(5)江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘。お七は、天和2(1682)年の大火で檀那寺に避難した際、寺小姓と恋仲となり、恋慕のあまり再会を願って放火し、火刑に処されたという。井原西鶴が「好色五人女」に取り上げてから、浄瑠璃や歌舞伎に上演・脚色された。
(6)覗機関(のぞきからくり)。絵解きを見世物化した大道見世物。ふつう箱の前面に数個のレンズを取り付けた穴があって、内部に仕掛けた風景や劇の続き絵を左右の2人の解説入りでのぞかせる。幕末〜明治期に流行した。
(7)乞食の見せものの口上。一人は顔に墨を塗って熊に扮して四つ這いになり、もう一人は竹の棒を手にして、このような口上を述べながら引き回して銭をもらった。
「だつてあなたがあんなことばつかしおつしやるんだもの」
「それだからあやまつたと云ふぢやないか。サア多舌《しやべつ》てゐるうちに小間物屋《こまものや》のまへは通りこしてしまつた」
「あらマアどうしませうねへ、まだ先にもありますかしら」
「どうだかぞんじません。たつた今何も入らないと云つた人は何処《どこ》に」
「もうそれはいひツこなし」
とゝめるも云ふも一ト筋道《ひとすぢみち》、横町の方《かた》に植木は多し。「こちへ」と招けば走りよるぬり下駄の音カラコロリ(8)、琴ひく盲女《ごぜ》(9)は今の世の朝顔(10)か、露のひぬまの(11)あはれあはれ、「粟《あは》の水飴《みづあめ》(12)めしませ」とゆるく甘くいふ。隣にあつ焼《やき》の塩せんべい、かたきをむねとしたるもをかし。
「千代《ちい》ちやん、鳥渡《ちよつと》見給へ右から二番目のを」
「ハアあの紅梅がいゝ事ねへ」
と余念なく眺め入りし後《うしろ》より、
「中村さん」
と唐突《だしぬけ》に背中たゝかれて、オヤと振り返へれば、束髪《そくはつ》(13)の一群《ひとむれ》何と見てか、
「おむつましいこと」
と無遠慮《ぶゑんりよ》の一言《いちごん》、たれが花の唇《くちびる》をもれし詞《ことば》か跡は同音《どうおん》の笑ひ声、夜風に残して走り行くを、
「千代《ちい》ちやん、彼《あれ》は何《なん》だ、学校の御朋友《おともだち》か、随分《ずゐぶん》乱暴な連中《れんぢう》だなア」
とあきれて見送る良之助より、低頭《うつむ》くお千代は赧然《はなじろ》めり(14)
(8)「下駄」と「琴」の両方にかかる擬音。ここから縁日の風景に入る。
(9)目の見えない女性。ここでは、琴や三味線を弾いて、唄をうたう物もらい。
(10)盲目の琴弾きを浄瑠璃の「生写朝顔話」(通称「朝顔日記」)の主人公の深雪(みゆき)に見立てている。芸州岸戸藩士秋月弓之助の娘深雪は、宇治の蛍狩りで宮城阿曽次郎と互いに恋い染める。のちに駒沢次郎左衛門との縁談を、それが大内家に仕官して改名した阿曽次郎であることとも知らずに拒んで家出し、流浪のすえに盲目となり、かつて宮城が詠じた「朝顔の歌」を歌って門付をする身になる。そして東海道島田の宿の宿屋戎屋で客に望まれて琴を弾くが、その客こそ阿曽次郎なのであった。
(11)島田宿屋で、盲目の朝顔が恋人と知らずに駒沢次郎左衛門と出会い、琴を弾きながら「露の干(ひ)ぬ間(ま)の朝顔を 照らす日陰のつれなさよ、哀れひと村雨のはらはらと降れかし」と今様歌をうたうのをふまえている。
(12)もち米と粟のもやしで作る黄金色の透き通った水飴。「あはれ」の同音でつづけ、その後に、隣り合わせた水飴屋と煎餅屋が対比される。
(13) 明治18(1885)年以降、女性の間に流行した水油を使った髪の結い方。軽便で衛生的なため広まり、揚げ巻き、イギリス巻き、マーガレット、花月巻き、夜会巻き、二百三高地、耳隠しなど、そのときの流行によっていろいろな名がつけられた。
(14)気おくれして顔を赤らめたことを示す。「はなじろめり」は、気おくれした顔をする。気まりわるそうなためらった様子をする。「赧然(たんぜん)」は、恥じて顔の赤くなる、赤面するさま。「赧然」に「はなじろ」と振り仮名をつけるという立体的な組み合わせで、粋な意味あいを生んでいる。こうした例は、江戸戯作に頻出する。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『現代語訳・樋口一葉 闇桜・ゆく雲他』(河出書房新社、1997.2)[訳・山本昌代]から

こちらに隔てなければ、あちらに遠慮もなく、くれ竹の世の憂きことも二人の間には葉末におく露ほどもなく、笑って暮らす春の日のまだ風の冷めたい二月半ばのこと、梅見に行こうと、夕暮れに摩利支天(まりしてん)の縁日に出かけた。連ねる袖も温かげに、
「良さん、お約束のもの忘れてはいやよ」
千代がいえば、
「ああ、大丈夫、忘れやしない。しかし、ええと、何だっけねえ」
「あれだもの、出かけにもあれほど願っておいたのに」
「そうそう、覚えている。八百屋お七の機関(からくり)が見たいといったんだっけ」
「アラいや、嘘ばっかり」
「それじゃあ、丹波の国から生捕った荒熊でございの方か」
「どうでもいいわ、私はもう帰ります」
「御免御免、今のはみんな嘘。どうして中村の令嬢千代子君ともいわれる人が、そんな御注文をなさろうはすがない。良之助、たしかに承って参ったものは——」
「ようございます。何もいりません」
「そう怒っては困る。喧嘩しながら歩くと、往米の人が笑うじゃないか」
「だってあなたがあんなことばかりおっしゃるんだもの」
「それだからあやまったというじゃないか。サア、多舌(しゃべっ)ているうちに小間物屋の前は通り越してしまった」
「あらマアどうしましょう。まだ先にもあるかしら」
「どうだか存じません。たった今、何もいらないといった人はどこに」
「もうそれはいいっこなし」
と、 とめるもいうも一筋道。横町の方に植木は多く、「こちらへ」と招けば走りよるぬり下駄の音カラコロリと鳴る。琴ひく肓女(ごぜ)は今の世の朝顔か、露のひぬまの哀れを誘う。粟の水飴めしませと、 ゆるく甘く呼びかける飴売りの隣に、あつ焼の塩せんべい、こちらは堅さを売りとするのもおかしい。
「千代ちゃん、ちょっと見給え、右から二番目のを」
「ハア、あの紅梅がいいことねえ」
と余念なく眺め入る後ろより、
「中村さん」
唐突(だしぬけ)に背中をたたかれ、オヤと振り返れば、束髪の一群、何と見たのか、
「おむつましいこと」
と無遠慮な一言、誰の花の唇を洩れた言葉か。跡は少女等の笑い声、夜風に残して走り去るのを見送って、あきれ顔の良之助は、
「千代ちゃん、あれは何だ。学校のお朋友(ともだち)か。ずいぶん乱暴な連中だなあ」
俯くお千代は赧然(はなじろ)んだ。

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