わかれ道③

きょうから「中」。傘屋の先代の、太っ腹のお松と呼ばれる老婆のことが語られ、吉三の素姓が明かされていきます。

     中

今は亡《う》せたる傘屋《かさや》の先代に、太《ふと》つ腹《ぱら》(1)のお松とて一代に身上《しんじやう》をあげたる(2)、女相撲《をんなずまふ》のやうな老婆樣《ばゝさま》ありき、六年前の冬の事、寺參りの帰りに角兵衛の子供を拾ふて来て、「いゝよ(3)、親方からやかましく言つて来たらその時の事。可愛想《かあいさう》に、『足が痛くて歩かれないと言ふと、朋輩《ほうばい》の意地悪が置去りに捨てゝ行つた』と言ふ。そんな処《ところ》へ帰《かへ》るに当るものか、ちつとも怕《おつ》かない事はないから私が家《うち》にゐなさい。みんなも心配する事はない、何のこの子位《ぐらゐ》のもの二人や三人、台所へ板を並べてお飯《まんま》を喰《た》べさせるに文句が入《い》るものか。判証文《はんしようもん》(4)を取つた奴《やつ》でも欠落《かけおち》(5)をするもあれば持逃げ(6)の吝《けち》な奴《やつ》もある。料簡次第《れうけんしだい》の(7)ものだわな。いはゞ馬には乗つて見ろ(8)さ、役に立つか立たないか置いて見なけりや知れはせん、お前、新網《しんあみ》(9)へ帰るが嫌やなら、此家《こゝ》を死場《しにば》と極《き》めて骨《ほね》を勉強(10)をしなけりやあならないよ。しつかりやつておくれ」と言ひ含められて、「吉や吉や」とそれよりの丹精《たんせい》、今油《あぶら》ひきに、大人三人前を一手に引うけて、鼻唄交《まじ》りやつて退《の》ける腕を見るもの、流石《さすが》に眼鏡(11)と亡き老婆《ひと》をほめける。

(1)度量の大きさをいうあだ名。後の記述からすると実際に肥満体であったことがわかる。
(2)財産を作った。
(3)「太つ腹」さが表れていることば。
(4)ここでは、年季奉公の証文。
(5)逃げて、行方をくらますこと。江戸時代には、貧困や悪事によって居住地を逃亡し、行方をくらますことをいい、戸籍上、保安上、厳しく禁じられていた。
(6)他人の金品を持って逃げること。ここでは店の商品や掛金を取って逃げることをいっている。
(7)その人の心ひとつで決まる。
(8)ことわざの「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」のこと。馬の善し悪しは乗ってみなければわからないし、人の本質は親しく交わってみなければわからない。
(9)いまの東京都港区の麻布新網町のこと。江戸時代から明治時代にかけて、下谷万年町、四谷鮫河橋と並んで東京(江戸)の三大貧民窟と呼ばれていた。徳川時代の旧非人系の被差別部落に起源があった。
(10)仕事に励むこと。
(11)さすがに人を見抜く力がある。

恩ある人(12)は二年目に亡《う》せて、今の主《あるじ》も内儀樣《かみさま》も息子の半次《はんじ》も気に喰《く》はぬ者のみなれど、此処《こゝ》を死場《しにば》と定めたるなれば、厭《いや》とて更に何方《いづかた》に行くべき(13)。身は疳癪《かんしやく》に筋骨《すぢぼね》つまつてか(14)、人よりは一寸法師、一寸法師と誹《そし》らるゝも口惜《くちを》しきに、「吉や、手前《てめへ》は親の日(15)腥《なまぐ》さを喰《やつ》た(16)であらう。ざまを見ろ、廻《まは》りの廻りの小仏《こぼとけ》(17)」と朋輩《ほうばい》の鼻垂《はなた》れに仕事の上の仇《あだ》を返されて、鉄拳《かなこぶし》(18)に張《はり》たほす勇気はあれども、誠に父母《ちゝはゝ》いかなる日に失せて何時《いつ》を精進日《しやうじんび》(19)とも心得なき身の、心細き事を思ふては、干場《ほしば》の傘《かさ》のかげに隠くれて大地を枕に仰向《あほの》き臥《ふ》しては、こぼるゝ涙を呑込《のみこ》みぬる悲しさ、四季押《しきおし》とほし油びかりする目くら縞《じま》の筒袖《つゝそで》を振つて、「火の玉のやうな(20)子だ」と町内に怕《こわ》がられる乱暴も、慰《なぐさ》むる人なき胸苦《むなぐる》しさの余り、仮にも優しう言ふてくれる人のあれば、しがみ付いて取《とり》ついて離れがたなき(21)思ひなり。
(12)吉三にとって恩のある、太っ腹のお松のこと。
(13)いまさらどこへ行かれよう。
(14)からだの筋肉や骨格が縮まったのか。
(15)両親の命日。
(16)精進せずに肉や魚を食べた。
(17)子どもの遊び唄。数人が手を引き合って一人の子を囲んで「まわりまわりの小仏はなぜ背が低い、親の日にとと食うて、それで背が低い」といいながら一回りしてかがむと、目隠しして中に立っている鬼が回りの子を指先で「線香・抹香・花まっこう、樒(しきみ)の花でおさまった」といって数え、ことばの終わりに当たった子が今度は鬼になってなかに立つ遊び。
(18)堅くにぎりしめたこぶし。げんこつ。
(19)肉食を断って仏道に励む日。
(20)気性が激しく喧嘩っぱやい。
(21)離れにくい。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2008.1)[訳・阿部和重]から

いまは亡き傘屋の先代に、太っ腹のお松という一代で身上を築きあげた、女相撲とりのような老婆がおり、六年前の冬のこと、寺参りの帰りに角兵衛一座の子どもを拾ってきた。
「いいよ、親方がやかましく言ってきたらそれはそれだわ。かわいそうにねえ、足が痛くて歩けないというのに、朋輩の意地悪どもが置き去りに捨てて行ったと言うんだわ。そんなところへ帰る必要あるもんか。ちっともおっかないことなんかないからあたしん家におりなさい。みんなも心配することない。何、こんなちっこい子の二人や三人くらい、台所へ板を並べておまんま喰べさせるのに文句あるもんか。判証文を取った奴でもどこぞへ逃げ失せちまう者もいれば持ち逃げする吝な奴もいる。了簡次第のものだわな。 いわば馬には乗ってみろさ。役に立つか立たないかは、置いてみなけりゃわからんわね。 おまえ、新網へ帰るのが嫌なら、此処を死に場所ときめて精出さなきゃならないよ、しっかりやっておくれ」
そう言い含められた吉三は、「吉や、吉や」となにかと心遣いを受け、いまや油引きとして、大人三人前を一手に引き受けて鼻歌まじりにやってのけるほどの腕前となり、さすがに人を見る眼は確かだと、誰もが亡き老婆をはめたもの。

恩ある人は二年目に亡くなり、いまの主人もお内儀さんも息子の半次も気にくわない者ばかりだけれど、此処を死に場所ときめているので厭といっても何処かほかへ行くわけにはゆかない。癇癪のために筋骨つまった身だとでもいうのか、人から、一寸法師、 一寸法師、と誹られるのも口惜しいのに、
「吉よ、てめえは親の命日に腥せえもん喰っただろう。ざまあ見ろ、廻り廻りの小仏め」と朋輩の鼻たれ連中に仕事上での仇を返され、鉄拳ではり倒す勇気はあれ、実際父母がいつ亡くなり、いつを精進日とすればいいのかわからず心細く感じては、干場の傘の陰に隠れて大地を枕に仰向けに寝て、こばれる涙をのみこむ悲しさ。四季を通して油びかりのするめくら縞の筒袖を振り、火の玉のようなガキだと町内で煙たがられる乱暴も、誰も慰めてくれぬ胸苦しさのあまり、仮にも優しく言葉をかけてくれる人がいれば、しがみついて離れがたく思うだろう。

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