ゆく雲⑨

「ゆく雲」もいよいよエンディング。桂次のその後が、語られていきます。

世にたのまれぬを男心といふ、それよ秋の空の夕日にはかに掻《か》きくもりて(1)、傘なき野道に横しぶきの難義さ、出あひし物はみなその様に申せどもこれみな時のはづみぞかし、波こえよとて末の松山ちぎれるもなく(2)男傾城《をとこげいせい》(3)ならぬ身の空涙こぼして何に成るべきや、昨日あはれと見しは昨日のあはれ、今日の我が身に為《な》す業しげければ(4)、忘るるとなしに忘れて一生は夢の如し、露の世といへばほろりとせしもの(5)はかないの上なしなり(6)、思へば男は結髪《いひなづけ》の妻ある身、いやとても応とても浮世の義理をおもひ断つほどのことこの人この身にして叶《かな》ふべしや、事なく高砂をうたひ納むれば(7)、即《すなは》ち新らしき一対の夫婦《めをと》出来あがりて、やがては父とも言はるべき身なり、諸縁(8)これより引かれて断ちがたき絆《ほだし》次第にふゆれば、一人一箇の(9)野沢桂次ならず、運よくば万《まん》の身代(10)十万に延して山梨県の多額納税と銘うたんも斗《はか》りがたけれど、契《ちぎ》りし詞《ことば》はあとの湊《みなと》に残して(11)、舟は流れに随《した》がひ人は世に引かれて(12)、遠ざかりゆく事千里、二千里、一万里、此処三十里の隔てなれども心かよはずは八重がすみ外山《とやま》の峰をかくす(13)に似たり。

(1)ことわざの「男心と秋の空」(秋は、いま晴れていたかと思うと、にわかに時雨れたりする。男の女性に対する愛情も、移り気で変わりやすい)を取り入れている。
(2)『後拾遺集』(恋四・770)の清原元輔の歌「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」(泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら、互いに約束したのに。末の松山を波が越すことなんてあり得ないように決して心変わりしないと)をふまえている。女心と秋の空。
(3)遊女のように容色を売りものにする男。おとこめかけ。
(4)なすべき仕事がたくさんあるので。
(5)はかない無常の世のなか。「ほろり」は露の縁語。
(6)この上なくはかないことだ。
(7)無事に結婚式が終ると。
(8)さまざまな縁故関係。
(9)系類のない単なるひとりの。
(10)財産。
(11)そのまま港にのこして。
(12)世の中の動きにしたがって。
(13)大江匡房の「高砂の尾上の桜咲さきにけり外山の霞たたずもあらなむ((遠くの高い山の頂に桜が美しく咲いたことだ。人里近い山にかすみが立つと、せっかくの桜が隠されてしまう。どうか立たずにいてほしい。)」(『後拾遺集』)による。

花ちりて青葉の頃までにお縫が手もとに文《ふみ》三通、こと細か成けるよし(14)、五月雨《さみだれ》軒ばに晴れまなく人恋しき折ふし、彼方《かなた》よりも数々思ひ出《いで》の詞《ことば》うれしく見つる、それも過ぎては月に一二度の便り、はじめは三四度も有りけるを後《のち》には一度の月あるを恨みしが、秋蚕《あきご》のはきたて(15)とかいへるに懸りしより、二月に一度、三月に一度、今の間《ま》に半年目、一年目、年始の状と暑中見舞の交際《つきあい》になりて、文言《もんごん》うるさし(16)とならば端書《はがき》にても事は足るべし、あはれ可笑《をか》しと軒ばの桜、くる年も笑ふて(17)、隣の寺の観音様、御手《おんて》を膝に柔和の御相、これも笑《ゑ》めるが如《ごと》く、若いさかりの(18)といふ物にあはれみ給へば、此処なる冷やかのお縫も、笑くぼを頬《ほう》にうかべて世に立つ(19)事はならぬか、相かはらず父様《ととさま》の御機嫌、母の気をはかりて、我身をない物にして(20)上杉家の安穏をはかりぬれど、ほころびが切れては(21)むづかし。

(14)こまごまと詳しく書いてあったという。
(15)養蚕で、毛蚕(けご)を蚕卵紙から掃きとって、ほかの紙に移す作業。
(16)手紙を書くのがめんどう。
(17)くる年ごとに咲く桜を「笑ふて」と擬人化し、「可笑し」には人情の移ろいやすさへの嘲笑が込められている。
(18)情熱。
(19)この世で生きていく。観音が手を膝に置いて坐っているの対して「立つ」としている。
(20)自分を犠牲にして。
(21)お縫の心に破綻をきたしては。「ほころび」と「ぬひ」は縁語。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・多和田葉子]から

世の中で頼みにならないのは男心だと言うが、秋の空の夕日が突然くもり、傘を持っていないのに野道に雨が横なぐりに降り、困ってしまうという目に合った者はみんなそう言うけれども、これもみな時のはずみで、将来を誓い合ったわけではなく、男の色を売る身でもないのに空涙を流したところでどうもならない。 昨日あわれだと思って見たものは昨日のあわれで、今日の我が身にはしなければいけない仕事か多いので、忘れるともなく忘れて一生は夢のよう、露のような世の中と言えばほろりとしたものたが、はかないことこの上なく、思えば男は許婚者のある身であり、否でも応でも浮世の義理を思い切るほどのことがこの人この身にしてできるだろうか、無事に「高砂(たかさご)」を歌い終われば新しい一組の夫婦が出来上がり、やがては父と呼ばれるべき身であり、それから様々な縁に引かれて断ちがたい絆が次第にふえれば、 一個人としての野沢桂次ではなくなり、運よく万の財産を十万にふやして、山梨県の多額納税者と銘を打たれるかどうかはまだ分からないが、契りの言葉は港に残して、船は流れに従い、人は世の中に引かれて、遠ざかっていくのは千里、二千里、 一万里。 ここでは三十里しか離れていないけれども、心が通わなければ、八重の霧が里近い山の峰を隠すのに似ている。

花散って青葉の頃までに、お縫の手元に届いたさみだれ手紙は三通、とてもくわしく書かれていたというが、五月雨が軒端に降り晴れ間がなく人恋しい折には、あちらから数々の思い出を書いてくるのを嬉しく見る。それも過ぎると月に一、二度の便り、初めは三、四度もあったのが後には一度になったのを恨んだが、毛蚕(けご)を蚕座へ移すとかいう時期になると、二月に一度、三月に一度、そのうちには半年に一度、 一年に一度となり、年賀状と暑中見舞の交際(つきあい)になって、手紙を書くのが大変ならばハガキでも事は足りるはすだが、なんとあわれでおかしいことだと軒端の桜はくる年も笑い、隣の寺の観音様も手を膝にのせ柔和な表情を浮かべてこれも笑っているようで、若いさかりの熱というものをあわれんでいるかのようだから、この冷静なお縫も笑くぼを頬に浮かべて世の中を渡っていくことはできないものだろうか。相変わらす、父親の機嫌や母に気を遣って、我が身を無い ものにして、上杉家の安穏を図っているけれども、縫い合わせた精神のほころびたところが切れてしまったら、これは難しいことになる。

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