ゆく雲⑥
桂次は、心惹かれているお縫に、郷里に遺した婚約者であるお作について話します。
「何がこんな身分うら山しい事か。ここで我れが幸福《しやわせ》といふを考へれば、帰国するに先だちて、お作《さく》が頓死《とんし》(1)するといふ様なことにならば、一人娘のことゆゑ、父親《てておや》おどろいて、暫時《しばし》は家督沙汰《ざた》やめになるべく(2)、然るうちに少々なりともやかましき(3)財産などの有れば、みすみす他人なる我れに引わたす事をしくも成るべく、又は縁者の中《うち》なる欲ばりども、唯《ただ》にはあらで運動する(4)ことたしかなり。その暁に(5)何かいささか仕損なゐでもこしらゆれば(6)、我れは首尾よく(7)離縁になりて、一本立の野中の杉(8)ともならば、それよりは我が自由にて(9)、その時に幸福《しやわせ》といふ詞《ことば》を与へ給へ」
と笑ふに、おぬひ惘《あき》れて、
「貴君《あなた》はその様の事正気で仰しやりますか。平常《つね》はやさしい方と存じましたに、お作様に頓死しろとは蔭《かげ》ながらの(10)嘘《うそ》にしろ、あんまりでござります。お可愛想なことを」
と少し涙ぐんでお作をかばふに、
(2)家の跡とりの件も、取りやめになるだろうし。
(3)わずらわしい。
(4)黙っていないで、手に入れようと画策する。
(6)仕損じでも仕出かしたら。
(7)うまいぐあいに。都合よく。
(8)野に立っている一本杉。桂次を喩えている。
(9)当時の書生らしい言葉遣いを用いている。
(10)相手自身の知らない。
「それは貴嬢《あなた》が当人を見ぬゆゑ、可愛想とも思ふか知らねど、お作よりは我れの方を憐《あは》れんでくれて宜《い》い筈。目に見えぬ縄につながれて引かれてゆくやうな我れをば、あなたは真の処(11)、何とも思ふてくれねば、勝手にしろといふ風で、我れの事とては少しも察してくれる様子が見えぬ。今も今、居なくなつたら淋しかろうとお言ひなされたはほんの口先の世辞で、あんな者は早く出てゆけと箒《はうき》に塩花が落ち(12)ならんも知らず、いい気になつて御邪魔になつて、長居をして御世話さまに成つたは、申訳がありませぬ。いやで成らぬ田舎へは帰らねばならず、情《なさけ》のあろうと思ふ貴嬢がそのやうに見すてて下されば、いよいよ世の中は面白くないの頂上(13)。勝手にやつて見ませう」(11)本当のところ。
と態《わざ》とすねて、むつと顔《がほ》(14)をして見せるに、
「野沢さんは本当にどうか遊《あそば》していらつしやる、何がお気に障りましたの」
とお縫はうつくしい眉に皺《しわ》を寄せて、心の解《げ》しかねる躰《てい》(15)に、
(12)箒を逆さに立て、それに手拭をかぶせてきらいな客を追い出すまじないがある。「塩花」は、塩をまいて清めるしきたり。「落ち」は落語からきたもので、結着、けりを着ける意。逆さ箒を立てて追い返してから塩花で清めるのが結着。
(13)いちばん上のところ。てっぺん。
(14)不機嫌な顔つき。不服顔。
(15)桂次の気持がわかりかねている様子。
「それは勿論《もちろん》、正気の人の目からは気ちがひと見える筈(16)、自分ながら少し狂つていると思ふ位なれど、気ちがひだとて種なしに(17)間違ふ物でもなく、いろいろの事が畳まつて(18)頭脳《あたま》の中がもつれてしまふから起る事。我れは気違ひか熱病か知らねども、正気のあなたなどが到底《とても》おもひも寄らぬ事を考へて、人しれず泣きつ笑ひつ、何処やらの人(19)が子供の時うつした写真だといふあどけないのを貰《もら》つて、それを明けくれに出して見て、面と向つては言はれぬ事を並べて見たり、机の引出しへ叮嚀《ていねい》にしまつて見たり、うわ言をいつたり夢を見たり、こんな事で一生を送れば、人は定めし大白痴《おほだわけ》(20)と思ふなるべく、そのやうな馬鹿になつてまで思ふ心が通じず、なき縁ならば、切《せ》めては優しい詞でもかけて、成仏するやうに(21)してくれたら宜さそうの事を、しらぬ顔をして情ない事を言つて、お出《いで》がなくば淋しかろう位のお言葉は酷《ひど》いではなきか。正気のあなたは何と思ふか知らぬが、狂気《きちがひ》の身にして見ると随分気づよいものと恨まれる。女といふものはもう少しやさしくても好い筈ではないか」と立てつづけの一ト息に、おぬひは返事もしかねて、
「私《わた》しは何と申てよいやら、不器用なればお返事のしやうも分らず、唯々こころぼそく成ります」
とて身をちぢめて引退《ひきしりぞ》くに、桂次拍子ぬけのして、いよいよ頭の重たくなりぬ。
(17)原因がなしに。
(18)積もり積もって。明治26年8月25日の日記には「此所四、五日事のせわしさ、なみならざるが上に脳のなやみつよくして、寐たる日もあり」とある。
(19)お縫を指している。
(20)大ばかもの。
(21)安心して死ぬことができるように。ここでは、あきらめて帰京することを指す。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・多和田葉子]から
「何がうらやましい身分なものか、ここで自分の幸福と いうことを考えれ ば、帰国するに先立って、お作が急死するということにでもなれば、 一人娘のことなので父親も驚いて、しばらくは跡継ぎの話もやめて、そうするうちに少々何かとうるさい財産などもあるから、みすみす他人である自分に引き渡すのも惜しくなり、また縁者の中の欲張りどもが黙っておらず動き始めるのは確実で、その暁に何か少しでも失敗すれば自分は首尾よく離縁になって、 一本立の野中の杉となれば、それからは自分は自由だから、その時に幸福という言葉を与えてくれ」、と言って笑うと、お縫はあきれて、「あなたはそのようなことを本気で言うのですか、平常はやさしい人と思っていたのに、お作さんに急死しろなんて、蔭で言う嘘にしてもあんまりです、可哀相に」、と少し涙ぐんでお作をかばうので、
「それはあなたが当人を見ないから可哀相とも思うかもしれな いけれど、お作よりも自分の方を憐れんでくれていいはず、目に見えない縄につながれて引かれていくような自分をあなたは何とも思ってくれないで、勝手にしろという風で、自分のことは少しも察してくれる様子か見えない。たった今、いなくなったら淋しいでしょうと言ったのはほんの口先のお世辞で、あんな者は早く出て行けと箒を立てかけ、出て行ったあとにああ、せいせいした、と塩をまくような気持ちになっているのかもしれないのに、こちらだけいい気になって邪魔をして長居して世話になったのでは申し訳ない。嫌でならない田舎へは帰らなければならないし、情があるだろうと思うあなたにはそのように見捨てられるのでは、 いよいよ世の中は面白くないの頂上だから勝手にやるしかない」、とわざとすねて、むっとした顔をして見せると、「野沢さんは本当にどうかしている、何が気に障ったのかしら」、とお縫は美しい眉に皺を寄せて心の理解しかねる様子、「それはもちろん正気の人の目には気違いと見えるはずで自分ながら少し狂っていると思うくらいだけれど、気違いといっても種子のないところに間違いという実の結ばれるはずもなく、 いろいろの事が畳み重なって頭脳の中がもつれてしまうから起る事、自分は気違いか熱病か知らないけれども正気のあなたなどがとても思いも寄らぬ事を考えて、人知れず泣いたり笑ったり、どこかの人が子供の時に写したのだというあどけない顔の写真をもらって、それを明けても暮れても出してみて、面と向かっては言えない事を並べてみたり、机の引き出しにていねいにしまってみたり、譫言を言ったり夢を見たり、こんな事で一生を送れば、人はきっと大の白痴と思うに違いなく、そのような馬鹿になってまで想う心が通じす、縁がないものならば、せめてやさしい言葉でもかけて、成仏するようにしてくれたらよさそうなものなのに、知らん顔をして情のない事を言って、来てくれなかったら淋しいでしょうくらいの言葉しかないのは酷いではないか。正気のあなたは何と思うか知らないけれども、狂気の身にしてみると随分気が強いものと恨まれる、女というものはもう少しやさしくてもいいはずではないか」、と立て続けに一息に言われると、お縫は返事もしかねて、「私は何を言ったらいいのか、不器用なので返事のしかたも分らず、ただただ心細くなります」、と言って身を縮めて退くと、桂次は拍子抜けして、いよいよ頭か重くなってきた。
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