にごりえ㉔
いよいよ「にごりえ」も最後の第八章。お力と源七の心中について語られます。
八
魂祭《たままつ》り(1)過ぎて幾日《いくじつ》、まだ盆提燈《ぼんぢようちん》のかげ(2)薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり。一つは駕《かご》にて一つはさし担《かつ》ぎ(3)にて、駕は菊の井の隠居処(4)よりしのびやかに出ぬ。大路に見る人のひそめく(5)を聞けば、「あの子(6)もとんだ運のわるい。つまらぬ奴(7)に見込れて可愛さうな事をした」といへば、「イヤ、あれは得心づく(8)だと言ひまする。あの日の夕暮、お寺の山で二人立ばなしをしてゐたといふ確かな証人もござります。女も逆上《のぼせ》てゐた(9)男の事なれば、義理にせまつて(10)遣つたので御座ろ」といふもあり、
(1)死者の霊を祭る行事。 陰暦七月中旬の盂蘭盆に催される。
(2)盆の供養に吊るす提灯。「かげ」は光のこと。
(3)棺にかけた縄に棒を通して肩にかつぐ、粗末な葬送。これは源七のほうで、篭はお力。
(4)別宅。
(5)ひそひそ語り合う。
(6)お力のこと。
(7)源七のこと。
(8)双方が納得してすること。ここでは合意の心中。
(9)好きで夢中になっていた。源七を指す。
(10)(男に言われて)嫌といえない義理につまって。
「何の、あの阿魔《あま》(11)が義理はり(12)を知らうぞ。湯屋(13)の帰りに男に逢《あ》ふたれば、さすがに振はなして逃る事もならず、一処に歩いて話しはしてもゐたらうなれど、切られたは後袈裟《うしろげさ》(14)、頬先《ほうさき》のかすり疵《きず》、頸筋《くびすぢ》の突疵《つききず》など色々あれども(15)、たしかに逃げる処を遣られたに相違ない。引かへて男は美事な切腹。蒲団《ふとん》やの時代から、さのみの男(16)と思はなんだが、あれこそは死花《しにばな》(17)、ゑらさうに見えた」といふ。
(11)女性をののしっていう語。
(12)義理張。義理を立て通すこと。二つの葬式のやり方をそのまま提示して、うわさを通じて一葉の考えを披歴している。
(13)銭湯。
(14)肩から斜めに背後から切り下げる。
(15)こうした傷からすると、最初は合意だったが、途中でお力の気が変わって無理心中になったとも考えられる。
(16)それほど立派な男。
(17)人にたたえられるような、立派な死にざま。
何にしろ菊の井は大損であらう、かの子には結搆《けつこう》な旦那(18)がついた筈《はづ》、取にがしては残念であらうと人の愁《うれ》ひを串談《じようだん》に思ふものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど(19)、恨《うらみ》は長し(20)、人魂(21)か何かしらず、筋を引く光り物(22)のお寺の山といふ小高き処より、折ふし飛べるを見し者ありと伝へぬ。(18)結城朝之助のこと。
(19)はっきりしたことは分らないが。
(20)お力の恨みは長く尽きることはない。
(21)死者の霊。ふつう青白く尾を引いて空中を飛ぶといわれる。
(22)尾を引く。恨みが光らせているのか。浮ばれないお力の霊なのだろうか。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から
魂祭りもすぎて数日たった。まだ盆提灯の影もうすら寂しく残っているころ、新開の町を出た棺が二つあった。ひとつは駕籠(かご)で、ひとつは人にかつがれて出ていった。駕籠の方は、菊の井の隠居処から、ひっそりと出ていった。
大通りにあつまってきた人々の、声をひそめて話しているのをきけば、「あの子もとんだ運のわるい子だ、 つまらないやつにみこまれてかわいそうなことをした」というのもあれば、「いやあれは得心ずくだってはなしですよ、あの日の夕暮れ、お寺の山で二人立ち話をしてたのを見たのもいるんだから、女の方も、のぼせあがっていた男のことだし、義理にせまられてやったんでしょうな」というのもある。「なんの、あんな女が義理はりを知ってるもんか、お風呂屋の帰りに男に会って、さすがにふりきって逃げるわけもいかずに、いっしょに歩いて話はしていたんだろうけど、斬られたのは後ろからすぱっと袈裟斬りだ、ほお先のかすり傷や首すじのつき傷や、いろいろあったらしいけど、たしかに逃げるところをやられたにちがいない、それにひきかえ、男の方はみごとな切腹だ、ふとん屋だったころはたいした男と思わなかったが、あれこそ死に花だなあ、なんだか立派に見えた」というのもある。「なにしろ菊の井は大損だ、あの子にはけっこうなだんながついたはすだ、取りにがして、そりゃ残念だった」と冗談でかたづけてしまうのもある。
諸説はみだれて、たしかなことはわからない。わからないが、あるいは、恨みの残る死ではなかったか。人魂(ひとたま)のような、すじをひいて光るものが、お寺の山という小高いところから、ときどき飛ぶのを見たものがあるというはなしである。
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