にごりえ⑮
「五」の終盤。「お力煩悶苦痛の末表に飛出せし途中の一条文章円転盤上の珠ともいはんか」と関如来が一葉への手紙で絶賛しているように、ここから「にごりえ」の中でもとりわけ定評のある描写が展開されていきます。
お力は一散に家を出て、「行かれる物ならこのままに唐天竺《からてんぢく》(1)の果までも行つてしまいたい。ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞えない、物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして、物思ひのない処《ところ》へ行《ゆ》かれるであらう。つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時《いつ》まで私は止められてゐるのかしら。これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」と道端の立木へ夢中に寄かかつて、暫時《しばらく》そこに立どまれば、「渡るにや怕し、渡らねば」と自分の謳ひし声をそのまま、何処ともなく響いて来るに、「仕方がない、やつぱり私も丸木橋(2)をば渡らずはなるまい。父《とと》さんも踏かへして落ておしまいなされ(3)、祖父《おぢい》さんも同じ事であつたといふ。どうで幾代もの恨み(4)を背負《せおう》て出た私なれば、為《す》るだけの事はしなければ、死んでも死なれぬのであらう。情ないとても(5)誰《た》れも哀れと思ふてくれる人はあるまじく、悲しいと言へば商売がらを嫌ふかと一ト口に言はれてしまう。ゑゑ、どうなりとも勝手になれ、勝手になれ。私には以上(6)考へたとて、私の身の行き方は分らぬなれば、分らぬなりに菊の井のお力を通してゆかう。人情しらず義理しらずか、そんな事も思ふまい。思ふたとてどうなる物ぞ。
(1)中国とインド。また、非常に遠いところのたとえ。
(2)自分の人生を象徴している。
(3)お力の父親は飾り職の名人だったが、世に出ることなく貧苦の中で若死にした。そのことをさす。
(4)祖父、父の、思うように世にうけ入れられなかったうらみ。
(5)情ないと言ってみても。
(6)これ以上。
こんな身でこんな業体《げうてい》(7)で、こんな宿世《すくせ》(8)で、どうしたからとて(9)人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦労するだけ間違ひであろ。ああ陰気らしい(10)、何だとてこんな処に立つてゐるのか。何しにこんな処《とこ》へ出て来たのか。馬鹿らしい、気違じみた、我身ながら分らぬ。もうもう皈《かへ》りませう」とて横町の闇をば出はなれて、夜店の並ぶにぎやかなる小路《こうぢ》を、気まぎらしにと、ぶらぶら歩るけば、行かよふ人の顔小さく小さく、擦れ違ふ人の顔さへも遥《はるか》とほくに見るやう思はれて、我が踏む土のみ一丈も上にあがりゐる如《ごと》く、がやがやといふ声は聞ゆれど、井の底に物を落したる如き響き(11)に聞なされて、人の声は、人の声、我が考へは考へと別々に成りて、更に何事にも気のまぎれる物なく、人立《ひとだち》(12)おびただしき夫婦《めをと》あらそひ(13)の軒先《のきさき》などを過ぐるとも、唯《ただ》我れのみは広野《ひろの》の原(14)の冬枯れを行くやうに、心に止まる物もなく、気にかかる景色にも覚えぬ(15)は、我れながら酷《ひど》く逆上《のぼせ》て、人心(16)のないのにと覚束《おぼつか》なく、「気が狂ひはせぬか」と立どまる途端、
「お力何処へ行く」
とて肩を打つ人あり。
(7)職業柄。なりわいの様子。
(8)前世からの因縁。宿縁。
(9)何をしたからといって。
(10)陰気くさい。
(11)井戸の底にものを落したときのような、遠くに聞える声。
(12)人だかり。
(13)夫婦げんか。
(14)荒涼たる虚無の状態を示す。
(15)気がかりな光景とも感じない。
(16)正気。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から
お力はいっさんに家を出たのである 。
行かれるものならこのままどこかへ行ってしまいたい、唐だって天竺だって いいんだ、はてのはてまで行ってしまいたい、ああいやだいやだいやだ、どうしたら行けるのかしら、人の声も聞こえない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心もなにもただぼうっとして、なやむことなんかなにもないところへ、どうしたら行けるのかしら、つまらない、くだらない、おもしろくない、情けない、悲しい、心細い、そんな中にいつまであたしはとめられているのかしら、これか一生か、 一生かこれか、ああいやだいやだ。
お力は道端の立ち木へ寄りかかって、 しばらくそこにそうやって、ぼんやりしていた。わたるにゃこわしわたらねばと、自分のうたった声かきこえてくる。どこからともなくきこえてくる。
しかたがない、やっぱりあたしも丸木橋をわたらなくちゃならないんだ、おとうさんは踏みはすしておちてしまった、おじいさんもそうだった、何代もの恨みをしょって生きてるあたしたから、するたけのことはしなければ死のうたって死ねないんだろう、情けないとは思うけれども、あわれと思ってくれる人はなし、人にいったところでこの商売がいやなのかと一言で片づけられてしまう。
ええどうなりとも勝手になれ、勝手になれ、こんなに考えたってあたしにはあたしの行き方がわからない、わからないならわからないなりに、菊の井のお力をとおしていくしかない、人情しらずか義理しらずか、そんなことも考えない、考えたってどうなるものか、こんな身で、こんな商売で、こんな囚果もあるあたしだ、どうしたって人並みじゃないにちがいない、人並みのことを考えてなやむだけまちがいだ。
ああくさくさする、あたし、なんだって、こんなところに立ってるのかしら、何しにこんなところへ出てきたのかしら、ばからしい、きちかいじみた、われながらわけのわからない、もうもう帰ろう、帰らなくちゃ。
お力は、横町の闇から出て、夜店のならぶにぎやかなところをぶらぶら歩いた。
行きかう人の顔か小さく小さく、すれちかう人の顔もはるかとおくに見えるようだ、あたしの踏んでいる土だけぽっかりと高く上にあがっているようだ、人の声のざわめくのはきこえる。 でも井戸の底に物を落としたようにとおくひびく、人の声は人の声、自分の思いは自分の思いと、くっきりわかれてしまったまま、そこにある、この現実に、ひきもどすことかできない。
あの家の前に人かおびただしく立っている、夫婦げんかしている、人はおびただしく立って、それを見ているのに、ただあたしだけぽつんと、広い野原の冬枯れしたとこを歩いていくようだ、心にとまるものもなく、気にかかる景色もない、胸がさわぐ、いいえ、生きてる感じもまるでしない、不安に押しつぶされそうなのに、 とうすることもできない、このまま気かくるうんじゃないか。
そう思ってたちどまった瞬間、「おカどこへ行く」と肩をうつ人かあった。
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