にごりえ④
きょうから「二」。「菊の井」の前を、山高帽子の三十男が通りかかります。
二
さる雨の日のつれづれに、表を通る山高帽子(1)の三十男、「あれなりと捉《と》らずんば(2)この降りに客の足とまるまじ」とお力かけ出して袂《たもと》にすがり、「どうでもやりませぬ(3)」と駄々をこねれば、容貌《きりよう》よき身の一徳(4)、例になき(5)子細らしき(6)お客を呼入れて、二階の六畳に三味線《さみせん》なしのしめやかなる物語、年を問はれて、名を問はれて、その次は親もとの調べ、
「士族(7)か」
といへば、
「それは言はれませぬ」
といふ。
「平民(8)か」
と問へば、
「どうござんしょうか」
と答ふ。
(1)男子用帽子の一種。フェルト製で堅く仕上げた、山が円く、高い縁の付いた帽子。礼装用として黒色のものを和服と洋服、両方にに用いる。
(2)あれでもつかまえなければ。
(3)どうしても行かせません。
(4)顔立ちのいいことが得をして。
(5)いつもに似合わない。
(6)もったいぶった。身分のある紳士風の。
(7)明治維新後、武士階級だった人に与えられた身分の呼称。華族の下、平民の上に位する。
(8)明治政府が設定した族称の一つで、官位のないふつうの人民、士を除く農・工・商民をいった。
「そんなら華族(9)」
と笑ひながら聞くに、
「まあ、さうおもふてゐて下され、お華族の姫様《ひいさま》が手づからのお酌、かたじけなく御受けなされ」
とて波々とつぐに、
「さりとは無左法《ぶさはう》な。置つぎ(10)といふが有る物か。それは小笠原(11)か、何流ぞ」
といふに、
「お力流とて菊の井一家の作法、畳に酒のまする流気《りうぎ》(12)もあれば、大平《おほひら》(13)の蓋《ふた》であほらする(14)流気もあり、いやなお人にはお酌をせぬといふが大詰めの極《きま》り(15)でござんす」
とて臆《おく》したるさまもなきに、客はいよいよ面白がりて、
「履歴をはなして聞かせよ定めて凄《すさ》ましい物語があるに相違なし、唯《ただ》の娘あがり(16)とは思はれぬどうだ」
とあるに、
「御覧なさりませ、まだ鬢《びん》の間に角も生へませず(17)、そのやうに甲羅は経ませぬ(18)」
とてころころと笑ふを、
「さうぬけては(19)いけぬ、真実の処を話して聞かせよ、素性が言へずは(20)目的でもいへ」
とて責める。
(9)明治2年(1869)6月、江戸時代の公卿、諸侯をこれにあて、同17年の華族令によって、公、侯、伯、子、男の爵位を授けられ、国家に勲功のあった政治家や軍人、官吏、実業家らも列することができるようになった。
(10)膳に置いたままの杯に酒を注ぐ。
(11)小笠原流。足利義満のとき、小笠原長秀の定めた武家礼式の一派。室町、江戸幕府や諸侯はこれに従い、明治以後は学校教育にとり入れられ、婦人の礼式として広く用いられた。
(12)流儀のこと。
(13)平たく大きな、蓋つきの椀。
(14)酒を一息に飲ませる。
(15)最後の定まり。奥の手。
(16)ふつうの家庭の娘として平凡に育った。
(17)恐ろしい鬼女にはなっていませんし。
(18)年功を積んではいません。あばずれ女でないことをふざけて言っている。
(19)とぼけては。
(20)育ちがいえなければ。
「むづかしうござんすね、いふたら貴君《あなた》びつくりなさりましよ天下を望む大伴《おほとも》の黒主《くろぬし》とは私《わたし》が事(21)」(21)常磐津の名作「積恋雪関扉」で、関守関兵衛(実は大伴黒主)が墨染桜を切ろうとして桜の精に素姓を見破られ、大立ちまわりを演じながらいう台詞。一葉は幼いころ常磐津を習ったという。
とていよいよ笑ふに、
「これはどうもならぬそのやうに茶利《ちやり》(22)ばかり言はで少し真実《しん》の処を聞かしてくれ、いかに朝夕《てうせき》を嘘の中に送る(23)からとてちつとは誠も交る筈《はづ》、良人《おつと》はあつたか、それとも親故《ゆゑ》か」
と真《しん》に成つて(24)聞かれるに、お力かなしく成りて、
「私だとて人間でござんすほどに少しは心にしみる事もありまする、親は早くになくなつて今は真実《ほん》の手と足ばかり(25)、こんな者なれど女房に持たうといふて下さるも無いではなけれど未《ま》だ良人をば持ませぬ、どうで下品に育ちました身なれば(26)こんな事して終るのでござんしよ」
と投出したやうな詞《ことば》に無量の感(27)があふれて、あだなる(28)姿の浮気らしきに似ず、一節《ふし》さむろう(29)様子のみゆるに、
「何も下品に育つたからとて良人の持てぬ事はあるまい、殊《こと》にお前のやうな別品《べつぴん》さむ(30)ではあり、一足《そく》とびに玉《たま》の輿《こし》にも乗れさうなもの(31)、それともそのやうな奥様(32)あつかひ虫が好かでやはり伝法肌《でんぽうはだ》(33)の三尺帯(34)が気に入るかな」
と問へば、
「どうで其処《そこ》らが落《おち》(35)でござりましよ。此方《こちら》で思ふやうなは(36)先様が嫌《いや》なり、来いといつて下さるお人の気に入るもなし、浮気のやうに思召《おぼしめし》ましようが、その日送り(37)でござんす」
といふ。
(22)こっけいな文句や動作。おどけ。
(23)酌婦として客を相手にその場限りのうそを言って暮らす生活。
(24)真面目になって。
(25)身内は手と足ばかり、すなわち、ひとりぼっちのこと。
(26)どうせ卑しい身に育ちましたものですから。
(27)はかり知れないほど深く身にしみて感じること。
(28)なまめかしい。
(29)どこか由緒ありげな。
(30)美しい女性。器量よし。
(31) 女性が婚姻などによって富貴な身分を得ることができそうなもの。
(32)ここでは高貴な人の妻。
(33)威勢のよいのを好む性質。勇み肌。
(34)職人らが用いた、長さが三尺(約90センチ)ほどの一重まわしのしごき帯。もともと三尺手拭を半纏の上から帯がわりにしめたことによる。
(35)そのあたりに落ち着く。つまり職人の女房くらい。
(36)わたしがよいと思うのは。
(37)その日、その日を、気をまぎらしながら送っている。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」ででどうぞ。
《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・伊藤比呂美]から
雨の日、人どおりもまばらで、女たちもすることがない。そんな日に、山高帽子の三十男が表を通った。あの人をつかまえないとこの降りだ、客足もとまっちゃうわよとお力がかけ出していって、ねえ寄ってって、寄ってって、ぜったい放さないからと男の腕をつかまえて駄々をこねた。こんなきっかけで、このちょっとめずらしい客が、菊の井にあがってきたのである。その日、お力と客は、二階の六畳に、三味線なしで、ただ話しながらすごした。
客は、お力の年をきいた。名をきいた。それから親もとの調べにかかった。士族の出かときかれてお力は、「それはいえません」
平民かときかれて、「さあどうでしよう」
そんなら華族かと客が笑いながらきくと、「まあそう思っておいてくださいな、お華族の姫さまが手ずからお酌してるんですよ、かたじけなくお受けなさいませ」とお力はなみなみと酒をついだ。
「おいおい不作法だな、置きつぎをするやつがあるか、それは小笠原流か、何流っていうんだい 」
「おカ流といって菊の井一家の流派なんですよ 、畳に酒をのませるお作法もあれば、特大のおわんの蓋(ふた)で一気飲みさせるお作法もあるし、いやな人にはお酌(しやく)をしないっていうのが極意のとこなんです」
悪びれずに、機転のきいたうけ答えをするので、客はいよいよおもしろがって
「経歴を話してきかせろよ、きっとすごい話があるんだろう、ただの娘あがりとは思えないが、どうなんだい」
「見てちょうだい、まだ角も生えてないし、そんなに甲羅も経てないし」とお力はコロコロ笑っている。
「そうしらばっくれたらだめだ、ほんとのところを話してきかせろよ、素性がいえないんなら目的をいえよ」
「むずかしくなってきましたね、いったら、あなたびっくりするわよ、天下をのぞむ大伴の黒主っていうのは、あれはあたしのことなのよ」とお力はいよいよ笑いこける。
「これ じやどうにもならないなあ、そんなにとぼけてばかりいないで、少しはほんとのところを聞かせてくれ、いくら嘘でかためた毎日だったって、多少は真実もまじってるんだろう、夫のためにやってるのか、それとも親のためなのか」と客はちょっと真顔になった。お力もふと真顔になって
「あたしだって人間ですもの、すこしは、いにしみることだってあります、親は早くになくなってあたし一人、こんなあたしですけど、女房にしたいっていってくれる方もないわけじゃないのよ、でもまだ夫はいません、しよせん育ちがわるいんですもの、このまま一生終わるんでしょうよ」
そう投げ出すようにいった。うわついた見かけとはうらはらに、そのことばには、厳しい、切実な思いがあふれかえるようだった。
「何も育ちがわるいからって、夫がもてないわけはないだろう、ことにおまえみたいなべっぴんさんだ、一足とびに玉の輿(こし)にのれるんじゃないか、それともそんな奥様あつかいは虫がすかないか、やっぱり下町の伝法肌のおかみさんにでもなった方がいいかね」
「まあそのあたりがおちでしょうけどね、こちらでいいと思う方はあちらがいや、来いといってくれる方の中には気に入った人がみつからない、うわっついてるふうに聞こえるでしょうけど、その日その日でいきあたりばったり」
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