大つごもり⑤

「大つごもり」はここから後半。この小説の男の主人公である、山村家の長男が登場します。

石之助(1)とて山村の総領息子、母の違ふに父親《てゝおや》の愛も薄く、これを養子に出して家督《あと》は妹娘の(2)にとの相談、十年の昔より耳に挾みて面白からず、今の世に勘当のならぬこそをかしけれ(3)、思ひのまゝに遊びて母が泣きを(4)と父親の事は忘れて、十五の春より不了簡(5)をはじめぬ。
男振にがみありて、利発らしき眼ざし、色は黒けれど好き様子《ふう》とて四隣《あたり》の娘どもが風説《うはさ》も聞えけれど、唯乱暴一途に品川(6)へも足は向くれど、騒ぎはその座限《ぎ》り、夜中に車を飛ばして車町《くるまちやう》(7)破落戸《ごろ》(8)がもとをたゝき起し、それ酒かへ肴《さかな》と、紙入れの底をはたきて無理を徹すが道楽なりけり。

(1)この小説の男性主人公。
(2)継母腹の次女の名前。
(3)江戸時代、親子関係を断つこと。奉行所に届け出て公式に親子関係を断つのが本来のあり方だが、公にせず懲戒的な意味を持たせるだけの内証勘当もあった。この明治の代に勘当ができないことは面白いこと、もっけの幸いだ。
(4)継母を苦しめてやろうと。
(5)心得違いの良くない行い。
(6)品川の遊郭をさしている。東海道五十三次の第一の宿駅が置かれて賑わった。
(7)港区芝にあった繁華街。
(8)ごろつき。一定の住所や職業を持たず、あちこちうろついて、他人の弱味につけこんでゆすり、嫌がらせなどをする。無頼漢。

「到底《とても》これに相続は石油蔵へ火を入れるやうな物、身代烟《けふ》りとなりて消え残る我等何とせん、あとの兄弟も不憫」と母親、父に讒言《ざんげん》(9)の絶間なく、「さりとて此放蕩子《これ》を養子にと申受る人此世にはあるまじ。とかくは有金の何ほどを分けて、若隱居の別戸籍に(10)」と内々の相談は極まりたれど、本人うわの空に聞流して手に乗らず、「分配金は一万、隠居扶持《ぶち》月々おこして(11)、遊興に関を据ゑず(12)、父上なくならば親代りの我れ、兄上と捧げて竈《かまど》の神の松一本も我が託宣を聞く心ならば(13)、いかにもいかにも別戸の御主人になりて、此家の為には働かぬが勝手、それよろしくば仰せの通りになりましよ」と、どうでも嫌やがらせを言ひて困らせける。
(9)事実をまげ、いつわって悪く言うこと。
(10)若いのに家業をゆずって隠居生活をする分家に。
(11)隠居への手当(隠居料)を毎月よこして。
(12)じゃまをせず。
(13)三宝荒神(台所の神)=写真=に供える松の一本を買うのでも、つまり、勝手向きのことまで我が許しを求めるならば。「我が託宣」は、自身を神に喩えた尊大表現になっている。

去歳《こぞ》にくらべて長屋もふゑたり、所得は倍にと、世間の口より我が家の様子を知りて、「をかしやをかしや、そのやうに延ばして(14)誰が物にする気ぞ、火事は燈明皿(15)よりも出る物ぞかし、総領と名のる火の玉(16)がころがるとは知らぬか。やがて卷きあげて貴様たちに好き正月をさせるぞ」と、伊皿子《いさらご》(17)あたりの貧乏人を喜ばして、大晦日を当てに大呑みの場処もさだめぬ。
(14)財産を増やして。
(15)燈明油を入れた皿。油に芯を浸して、その芯を灯して燈明にする。
(16)激しい気性の自分が危険な存在が鉄火のように危険だということ。
(17)現在の東京都港区三田付近の町名。1600年ころ、来日した明人がこの地に帰化し、このころの外国人の呼称から「伊皿子」(いびす)と名乗ったのが由来とされる。

「それ兄様のお帰りと」言へば、妹ども怕《こは》がりて腫れ物のやうに障るものなく、何事も言ふなりの通るに、一段と我がまゝをつのらして、炬燵に両足、「酔ざめの水を水を」と狼藉はこれに止めをさしぬ(18)。憎くしと思へど流石に義理は愁《つ》らき物かや、母親かげの毒舌をかくして、風引かぬやうに小抱巻《こかいまき》(19)何くれと枕まで宛がひて、明日の支度のむしり田作《ごまめ》(20)、「人手にかけては粗末になる物」と、聞えよがしの経済(21)を枕もとに見しらせぬ。
(18)乱暴はこれ以上のものはなかった。「狼藉」は一説に、狼が草を藉(し)いて寝たあとの乱れていることによるという。
(19)小形で薄く綿を入れた夜着。
(20)「ごまめ」は、カタクチイワシの素干し。田作りともいう。小形のカタクチイワシを水洗してから、むしろの上にばらまいて1日数回転がしながら干し上げる。それを細かく裂いたのが、むしりごまめ。「まめ(健康)」に通じるので、正月や祝儀の料理に用いられる。
(21)「聞えよがし」は、動詞「きこえる(聞)」の命令形に、接尾語「がし」の付いたもので、当人がそばにいるのに、わざと聞こえるように、嫌味や皮肉をいうこと。「経済」は、倹約。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・島田雅彦]から

 石之助という山村家の長男はほかの兄弟と母親が違うので、父親の愛も薄くて、この子は養子に出して家督は妹に譲ろうという計画を十年前に知って、彼としては面白くない、昔ならともかく、勘当なんてできないだろうと、思う存分遊びまくって継母を泣かしてやろうと、父親のことも忘れ、十五の春から不良をやっている、けっこうハンサムでニヒルで、冴えてそうな目をしてて、色黒だけどいい感じ、とまわりの女の子の噂になっていたけれども、粗暴で、品川の遊廓へも通ったが、騒ぐのはその場限り、夜中に車を飛ばして不良連中をたたき起こして、酒を買え、肴を買え、と財布をはたいて無茶するのが道楽だった、

こんなのに相続させたら、石油タンクに火を入れるようなもんで、財産は煙みたいに消え、残された私たちは路頭に迷って、ほかの兄弟はかわいそう、と継母は父親や石之助をなじる、でもなあ、こんなドラ息子を養子にもらってくれるような人は世間にやいないし、少し財産を分けてやって、隠居させちまおうと、内々に相談が決まっていたけれども、当人はうわの空で、その手にや乗らねえとばかり、分配金は一万、隠居の生活費を月々よこせ、オレの遊びにロ出しするな、親父が死んだらオレが親代わりだ、神棚に供える松一本買うにも尊敬するこの兄上の許しをもらうのが筋ってもんだ、

そのオレを追い出そうってんだから、この家のために働こうが働くまいが、こっちの勝手だ、それでもいいなら、いう通りにしてやるよ、と嫌からせをいって困らせていたが、山村の家は去年より長屋も増え、儲けは倍になっただろう、と世間の噂から家の様子を知り、笑わせやがる、そんなに貯め込んで誰のものにしようってんだ 、火事は灰皿から出るもんだ、跡取りと名のる火玉が転がってんだよ、ほらここにな、今に山村家の財産巻き上げて、 おまえらにもいい正月迎えさせてやらあ、とハッタリかまして伊皿子(いさらご)町あたりの貧乏人どもを喜ばせ、大晦日に大酒を呑む場所まで決めている。

 兄さんが帰ってきた、というと、妹たちは恐がって腫れ物扱いで、何でもいいなりになるので、奴は図に乗り、炬燵に両足突っ込み酔いざましの水もってこいと乱れに乱れる、憎たらしいと思うが、親子の腐れ縁、母親は叱言を呑み込み、風邪をひかないようどてらやら何やら持ってきて、枕まであてがって、あすの支度にごまめをむしり、人にやらせると粗末にするから、と枕元で聞こえよがしに節約をいいたてる。 

コメント

人気の投稿