大つごもり③

お峯は、病気で倒れた、親代わりの伯父の貧しい住まいを訪れます。

「何、お峯が来たか」
と安兵衛が起上れば、女房《つま》は内職の仕立物に余念なかりし手をやめて、
「まあまあこれは珍らしい」
と手を取らぬばかりに喜ばれ、見れば六畳一間に一間の戸棚只一つ、箪笥長持はもとよりあるべき家ならねど、見し長火鉢のかげもなく、今戸焼(1)の四角なるを同じ形《なり》の箱に入れて、これがそもそもこの家の道具らしき物、聞けば米櫃《こめびつ》も無きよし、さりとは悲しきなりゆき、師走の空に芝居みる人もあるをと、お峯はまづ涙ぐまれて、
「まづまづ風の寒きに寢てお出なされませ」と、堅焼(2)に似し薄蒲団を伯父の肩に着せて、
「さぞさぞ沢山《たんと》の御苦労なさりましたろ、伯母様も何処やら痩せが見えまする。心配のあまり煩ふて下さりますな。それでも日増しに快《よ》い方でござんすか、手紙で様子は聞けど、見ねば気にかゝりて、今日のお暇《いとま》を待ちに待つて漸《やつ》との事、何、家《うち》などはどうでも宜《よ》ござります、伯父様御全快にならば、表店《おもて》に出るも訳なき事なれば、一日も早く快くなつて下され。伯父様に何ぞと存じたれど、道は遠し心は急《せ》く、車夫《くるまや》の足が何時より遅いやうに思はれて、御好物の飴屋が軒も見はぐり(3)ました、此金《これ》は少々なれど私が小遣の残り、麹町(4)の御親類よりお客のありし時、その御隠居さま、寸白《すばく》(5)のお起りなされてお苦しみのありしに、夜を徹《とほ》してお腰をもみたれば、前垂でも買へとて下された、それや、これや、お家《うち》は堅けれど、他処《よそ》よりのお方が贔屓《ひいき》になされて、伯父さま喜んで下され、勤めにくゝもござんせぬ(6)。この巾着も半襟もみな頂き物、襟は質素《ぢみ》なれば伯母さま懸けて下され、巾着(7)は少し形《なり》を換へて三之助がお弁当の袋に丁度《てうど》よいやら。それでも学校へは行きますか、お清書が有らば姉にも見せて」
とそれからそれへ言ふ事長し。
(1)東京都台東区今戸産の素焼きの土器。天正年間(1573~1592)に始まるとされる。素焼きを主とし、日用雑器や瓦、人形などの玩具も作った。
(2)堅く焼いた塩せんべい。綿が古いままで堅くなったふとんを喩えている。
(3)見る機会を失う。見そこなう。
(4)半蔵門から四谷に至る新宿通りを中心とする地区。旧麹町区(1878~1947)で、現在の千代田区の南西半部を占めた。
(5)条虫などの寄生虫によって起こり、特に、婦人の下腹部や腰に激痛の痛む病気。婦人の生殖器病の総称としても用いられる。すんばこ。
(6)伯父たちに心配をかけまいとするお峯の心遣い。
(7)布や革などで作り、口に緒をめぐらして引きくくるようにした袋。
七歳のとしに(8)父親得意場(9)の蔵普請に、足場を昇りて中ぬり(10)の泥鏝《こて》を持ちながら、下なる(11)に物いひつけんと振向く途端、暦に黒ぼしの仏滅(12)とでも言ふ日で有しか、年来馴れたる足場をあやまりて、落たるも落たるも下は敷石に模様がへの処ありて、掘りおこして積みたてたる切角に、頭脳したゝか打ちつけたれば甲斐なし、哀れ四十二の前厄(13)と人々後に恐ろしがりぬ。
(8)お峯が七歳のときに。
(9)得意先。
(10)壁塗りで、下塗りのつぎ、上塗りの前の中間工程。
(11)下働きの人夫。
(12)暦に黒星の印が付いている仏滅の日は、陰陽道で万事に不吉とされる。
(13)男の大厄は数え年の42歳。その前年の「前厄」は41歳。
母は安兵衛が同胞《きやうだい》なれば此処に引取られて、これも二年の後は、やり風俄《には》かに重く成りて亡せたれば、後は安兵衛夫婦を親として、十八の今日まで恩はいふに及ばず、
「姉さん」
と呼ばるれば、三之助は弟《おとゝ》のやうに可愛く、
「此処へ此処へ」と呼んで背を撫で顔を覗いて、
さぞ父《とゝ》さんが病気で淋しく愁《つ》らかろ。お正月も直きに来れば姉が何ぞ買つて上げますぞえ、母《かゝ》さんに無理をいふて困らせてはなりませぬ」
と教ゆれば、
「困らせる処《どころ》か、お峯聞いてくれ、歳は八つなれど身躰《からだ》も大きし力もある。我《わし》が寐てからは稼ぎ人《て》なしの費用《いりめ》は重なる、四苦八苦見かねたやら、表の塩物や(14)が野郎と一処《しよ》に、蜆《しゞみ》を買ひ出しては足の及ぶだけ担ぎ廻り、野郎が八銭うれば十錢の商ひは必らずある、一つは天道さま(15)が奴の孝行を見徹してか、兎なり角なり(16)薬代は三が(17)働き、お峯ほめてやつてくれ」
とて、父は蒲団をかぶりて涙に声をしぼりぬ。
「学校は好きにも好きにも遂ひに世話をやかしたる事なく(18)、朝めし喰べると馳け出して三時の退校《ひけ》に道草のいたづらした事なく、自慢ではなけれど先生さまにも褒め物の子を、貧乏なればこそ蜆を担がせて、この寒空に小さな足に草鞋をはかせる親心、察して下され」
とて伯母も涙なり。
(14)塩漬けにした魚介類を売る店。
(15)おてんとうさん。太陽、つまり天の神さま。
(16)ともかくも。なんにしても。
(17)三之助が。
(18)親が尻をたたかなくても、子どもが積極的に勉強に励んでくれる。「遂ひに」は、下に打消を伴った場合、一つの行為や状態を、今まで経験したことがないと、否定的にかえりみる気持を表わし、いまだかつて、まだ一度も、の意になる。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『にごりえ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房、2022.4)[訳・島田雅彦]から

なにお峰が来たか、と安兵衛が起きると、妻は内職の手を休めて、まあまあこれは珍しい、と手を握らんばかりに喜んじゃって、中を見れば、六畳一間に戸棚が一つ、タンスや長持なんて最初からない家だけど、見慣れた長火鉢もない今戸焼の四角い入れ物を同じ形の箱に入れてあるものがあって、それが唯一の家財道具らしい、聞けば、米びつもない始末、それにしてもなんて悲しいの、師走の空の下芝居見物する人もいるのに、お峰は思わず涙がポロリ、風が寒いから横になっていてよ、と堅焼きせんべいみたいな蒲団を伯父の肩にかけ、さぞかしいろんな苦労をしたんでしょうね、伯母さんもやつれちゃって、伯母さんまで心労で病気になったりしなでね、それでも日増しによくなってるのかしら、手紙で様子は聞いてますけど、この目で確かめないことにはね、暇が出るのを待ってやっと来ましたけど、なあに住まいなんて二の次です、伯父さんが全快したら、また店を再開すればいいことでしょう、

一日も早くよくなって、何かお見舞いをと思ったんですけど、けっこう遠いし、あわててたし、車もノロノロしてるように思えて、飴屋さんも見逃しちゃった、これ私の小遣いの残り、あちらの麹町のご親戚がうちに来た時、そこのお婆さんのリウマチが出て苦しんでたんで夜通し腰を揉んであげたら、 エプロンでも買いなさいってくれたものなの、何だかだ山村家は堅い家だけど、よその人がよくしてくれるから、伯父さん喜んでね、勤めにくいわけじゃないから、このバッグもスカーフももらいもの、スカーフは私には地味だし、伯母さん使って、バッグはちょっと形を変えれば、三之助の弁当を入れるのに使えるし、で、学校には行ってるの、姉さんにノートを見せてごらん、と一気に喋った。

七歳の時、父は得意先の蔵の普請のために足場を上って、中塗りのコテを持って、下にいる使用人にものをいいつけようと振り向いたとたん、暦は仏滅だったのか、馴れてるはすの足場から落ちて、運悪く模様替え中の敷石の角に頭をいやというほどぶつけ、はいそれまでよ、数え四十二歳の前厄だとあとになってみんな同情した、母は安兵衛の兄妹だから、母子二人そこに引き取られたけれども、二年後母がインフルエンザをこじらせて亡くなったあとは安兵衛夫婦を親と思って暮してきたこともあり、十八になる今日までの恩を忘れたことはないし、姉さんと呼ばれると、三之助は弟みたいにかわいい、こっちへおいでよ、と呼んで背中を撫でて顔をのぞいて、あんた父さんが病気で淋しくてつらいわよね、もうすぐお正月だし、

姉さんが何か買ってあげる、だから母さんを困らせるんじゃないよ、と諭すと、伯父さんがいう、困らせるどころか、お峰聞いてくれよ、八歳にしちゃ大きいし、力もある、オレが寝込んでからは稼ぎ手はいないのに金だけ出ていく、うちが苦しいのを見かねて、干物屋の野郎と一緒にしじみを売り歩いて、野郎が八銭売れば、息子は十銭稼ぐ、奴の親孝行をお天道さんが見ているのかね、ともかく薬代は三が稼いでくれる、お峰ほめてやってくれ、と蒲団をかぶって涙声になっている、学校は大好きで、世話をやかせたことはないし、朝飯を食べるとさっさと出て行って三時の下校も寄り道もせす、 自慢じゃないが、先生にほめられ、貧乏だからしじみを担がせて、この寒空に小さな足に草鞋(わらじ)をはかせる親心をわかっておくれ、と伯母も涙を流す、

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