十三夜⑭
「十三夜」もいよいよ大詰め。録之助とお関の関係がときあかされていきます。
「昔の友といふ中《うち》にもこれは忘られぬ由縁《ゆかり》のある人。小川町の高坂《かうさか》とて小奇麗《こぎれい》な烟草屋《たばこや》の一人息子、今はこの様《やう》に色も黒く見られぬ男になつてはゐれども、世にある頃(1)の唐棧《とうざん》ぞろひ(2)に小気《こき》の利《き》いた(3)前だれがけ、お世辞も上手《じようず》、愛敬《あいけう》もありて、年の行かぬやうにもない(4)、父親《てゝおや》のゐた時よりは却《かへ》つて店が賑やかなと、評判された利口らしい人の、さてもさてもの替り様《やう》。我身《わがみ》が嫁入りの噂《うわさ》聞え初《そめ》た頃から、やけ遊びの底ぬけ騷ぎ、高坂の息子は丸《まる》で人間が変つたやうな、魔《ま》でもさしたか、祟《たゝ》りでもあるか、よもや只事《たゞごと》ではないとその頃に聞きしが、今宵《こよひ》見ればいかにも浅ましい身の有様《ありさま》、木賃泊《きちんどま》り(5)にゐなさんすやうにならうとは思ひも寄らぬ。
(1)世間ひととおりの生活をしていたころ。おちぶれていなかったころ。
(2)着物も羽織も唐桟の対。唐桟は、綿織物の一種で、細番の諸撚(もろより)綿糸で平織にしたもの。
(3)ちょっと気の利いた。「小」は接頭語。
(4)若いに似合わずしっかりしている(ほめ言葉)。
(5)最下等の簡易宿泊所。木賃宿。
私はこの人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顏を合せる毎《たび》に、行々《ゆくゆく》はあの店の彼処《あすこ》へ座つて、新聞見ながら商《あきな》ひするのと思ふてもゐたれど、量《はか》らぬ人(6)に縁の定まりて、親々(7)の言ふ事なれば何の異存を入《いれ》られやう(8)。烟草屋《たばこや》の録さんには(9)と思へど、それはほんの子供ごゝろ、先方《さき》からも口へ出して言ふた事はなし、此方《こちら》は猶《なほ》さら、これは取《とり》とまらぬ(10)夢の様《やう》な恋《こひ》なるを、思ひ切つてしまへ、思ひ切つてしまへ、あきらめてしまはうと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事にはなつたれど、その際《きは》までも(11)涙がこぼれて忘れかねた人。
(6)思いもよらない人。原田勇のことを言っている。
(7)親たち、両親。
(8)反対の意見を言われよう。
(9)嫁に行くならたばこ屋の録さんのところへ。
(10)取りとめのない。
(11)嫁入りの間際までも。
私が思ふほどはこの人も思ふて(12)、それ故《ゆゑ》の身の破滅かも知れぬ物を、我《わ》がこの様《やう》な丸髷《まるまげ》などに、取済《とりすま》したる様な姿を、いかばかり面《つら》にくゝ思はれるであらう。夢さら(13)さうした楽しらしい身(14)ではなけれども」と阿関《おせき》は振《ふり》かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然《ぼうぜん》とせし顔つき(15)、時たま逢《あ》ひし阿関に向つて、さのみは嬉《うれ》しき様子も見えざりき。
広小路に出《いづ》れば車もあり、阿関は紙入れより紙幣いくらか取出《とりいだ》して、小菊《こぎく》の紙(16)にしほらしく包みて、
(12)私が恋焦がれたのと同じくらいこの人も私を恋して。
(13)すこしも。決して。いささかも。「ゆめにも」と「さらに」との意味が複合してできた語ともいわれ、下に打消・禁止の語を伴って用いる。
(14)楽しいと感じられる身。「らしい」は接尾語で、名詞、形容詞・形容動詞の語幹などに付いて、…という気持ちを起こさせる、…と感じられる、…と思われる、などの意を表す。
(15)録之助の味わい尽した、憂き世の悲哀の深さが表わされている。
(16)ふところ紙にする小判の和紙。こうぞが原料で、茶席や慶事などに用いられる。
「録さん、これは誠《まこと》に失礼なれど、鼻紙なりとも買つて下され。久《ひさ》し振《ぶり》でお目にかゝつて、何か申したい事は沢山《たんと》あるやうなれど、口へ出ませぬは察して下され。では私は御別れに致します。随分からだを厭《いと》ふて煩《わづ》らはぬ様《やう》に、伯母《おば》さんをも早く安心させておあげなさりまし。陰《かげ》ながら私も祈ります。どうぞ以前の録さんにおなりなされて、お立派にお店をお開きになります処《ところ》を見せて下され。左様《さやう》ならば(17)」
と挨拶《あいさつ》すれば、録之助は紙づゝみを頂《いたゞ》いて、
お辞儀《じぎ》(18)申す筈《はづ》なれど、貴嬢《あなた》のお手より下されたのなれば、ありがたく頂戴《ちようだい》して思ひ出にしまする。お別れ申すが惜しいと言つても、これが夢ならば(19)仕方のない事、さ、お出《いで》なされ、私《わたくし》も帰ります。更《ふ》けては路《みち》が淋《さび》しうござりますぞ」
とて空車《からぐるま》引いてうしろ向く、其人《それ》は(20)東へ、此人《これ》は南へ、大路《おほぢ》の柳《やなぎ》月のかげに靡《なび》いて、力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奥も、憂きはお互ひの世におもふ事多し(21)。
(17)さようならば、これで別れましょうの意。上半分が残って別れのあいさつ「さようならば」、さらに「さようなら」になった。
(18)ここでは、辞退する、の意。
(19)以前出てきた「奥様におなりなされたと聞いた時から、それでも一度は拝む事が出来るか、一生の内に又お言葉を交はす事が出来るかと、夢のやうに願ふてゐました」の「夢」。めぐり逢いを、夢とあきらめている。
(20)録之助をさしている。
(21)つらいのはお互いの世間で、とりわけて物思いが多い。「世に」は、「世間に」と、非常にの意の「よに」との掛詞。前出の「誰れも憂き世に一人と思ふて下さるな」に対応している。
朗読は、下のYouTube「いちようざんまい」からどうぞ。
●現代語訳例=『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出文庫、2008.1、篠原一訳、p.174-178)から
高坂録之助といえばお関にとっては昔なじみの中でもとくに忘れられない因果のある人だった。
小川町の高坂といえば小綺麗に調った煙草屋の一人息子で、今はこのように色も黒く正面から見るにはしのびない様子になってしまっているか、記意にある頃の録之助は唐桟ぞろいに気の利いた感じの前だれがけの似合った、お世辞のうまい、愛嬌のある、それでいてしっかりした、父親のいた時分よりかえって店がにぎやかだと評判された、いかにも賢そうな人だったのだ。
今は、どうしてこんな、と田」うほどの変わりようである。お関の嫁人りの噂がなかれはじめた頃から、やけ遊びに火がついて、気がつけばいつだって底抜けの騒ぎよう、高坂の息子はまるで人か変わったようだ、魔でもさしたのか、それとも祟りか、まさかこれはただごとではない、とその頃はそんなロクでもない噂にきいたのだ。しかし、今夜相見えればいかにも噂どおりというようなあさましい身の有様ではないか。
(木賃宿で夜露を凌ぐようになっているとは思いもよらなかった。わたしはこの人に想われて、十二の歳から十七の歳まで明け暮れ顔をあわせるたびにゆくゆくはあの煙草屋さんの彼処(あそこ)にすわって新聞みながらお商売するんだ、と思っていたのに、思ってもいなかった人と結婚が決まってしまった。親がそろってすすめることになんで女の身で反対が出来るだろう。
煙草屋の録さんと一緒になる、と思っていたけれどそれはたしかに子供ごころのえがく淡く儚い夢のようなもの。あちら様からロにだしてくれたこともなかったし、ましてやこっちは何も云わなかった。これはほんとうにつかみ所のない夢のようなものなのだ。お関、思い切ッてしまえ)
思い切ッてしまわなきゃいけない。諦め ることになると知って原田の家に嫁い だものの、その間際まで涙がこばれるほどにお関には録之助が忘れられなかった。お関が思っているくらいには録之助もお関のことを思っていて、それだからこそ身を窶してもいるのかも知れないのに、自分がこのように丸髷など結って取り澄ました如何にも奥さまらしい様子でいたら、どれほど小面憎く思えるだろう。
ゆめまさか録之助の思うような気分のいい身の上ではないけど、とお関はふりかえって録之助を見た。録之助は何を考えているのか茫然とした表情で、久しぶりにあったお関と むきあってそう嬉しいようにも見えなかった。
広小路にでれば辻でひろえる人力車もある。お関は紙人れから紙幣をいくらかだして小菊の懐紙にしおらしくそっと包んだ。
「録さん、これは本トに失礼なんだけど、鼻紙でもかってくださいましよ」
久しぶりにお目にかかってなんだか云いたいことは沢山あるみたいなんだけどうまく云えないのは分かってくださいましね、ではわたしはここでお別れいたします、お身体をお大事に、小母さんを早く安心させてあげておくんなさい、陰ながらわたしも祈ってます、どうぞ以前のような録さんにおなりになって立派にお店をおひらきになるところをみせてくださいましね、さようなら。
お関がそう挨拶すると録之助は紙包みを手にとって、おことわりしなきゃなんない筈なんですがあなた様が手から直にくださったものだから有り難く頂戴することにします、お別れするのが惜しまれると云ってもこれが夢なら仕方のないこと、さ、おゆきになってください、わたしも帰ります、夜が更けては路も淋しゅう御座ンすよ、と云って頭を下げ空車を挽いてお関に背を向けた。
ひとりは東へ、またひとりは南へ。大路の柳も月のかげになびいて力弱げに塗り下駄の音が月路にからから響く。村田やの二階も原田の家も哀しみはお互いの人の世に思う、物思いの塵から生まれてくる。
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