十三夜⑬

お関に「お内儀(かみ)さんは」と聞かれた車引きは、云いにくそうに、言葉を濁しながら答えます。
「御存じでござりましよ、筋向ふの杉田やが娘。色が白いとか恰好《かつかう》がどうだとか言ふて、世間の人は暗雲《やみくも》に(1)褒《ほ》めたてた女《もの》でござります、私がいかにも(2)放蕩《のら》をつくして(3)、家《うち》へとては寄りつかぬやうになつたを、貰《もら》ふ(4)べき頃に貰ふ物を貰はぬからだと、親類の中《うち》の解《わか》らずやが勘違ひして、あれならばと母親が眼鏡にかけ(5)、是非もらへ、やれ貰へと無茶苦茶に進めたてる五月蠅《うるさ》さ。どうなりとなれ、なれ、勝手になれとて、あれを家《うち》へ迎へたは丁度《てうど》貴嬢《あなた》が御懷妊《ごくわいにん》だと聞ました時分の事。一年目には私が処《ところ》にもお目出《めで》たうを他人《ひと》からは言はれて(6)犬張子《いぬはりこ》(7)や風車《かざぐるま》を並べたてる様になりましたれど、何《なん》のそんな事で私が放蕩《のら》のやむ事か。
(1)むやみに。
(2)何ともひどく。
(3)酒や女遊びに耽って身をもちくずす。
(4)嫁をもらう。
(5)よく見定めて。
(6)子供が生まれたことを言っている。自分自身は「目出たい」などとは思ってはいない。
(7)張子の犬の立像。玩具の一つで、宮参りの贈物や子供の魔除け、安産祈願のお守りとしても使われる。
人は顏の好《い》い女房を持たせたら足が止まる(8)か、子が生れたら気が改まるかとも思ふてゐたのであらうなれど、たとへ小町(9)西施《せいし》(10)と手を引いて来て、衣通姫《そとほりひめ》(11)が舞ひを舞つて見せてくれても、私の放蕩《のら》は直らぬ事に極《き》めて置いたを、何《なん》で乳くさい子供の顔見て発心《ほつしん》(12)ができませう。遊んで遊んで遊び抜いて、呑《の》んで呑んで呑み尽して、家も稼業もそつち除《の》けに、箸《はし》一本もたぬ(13)やうになつたは一昨々年《さきおとゝし》。お袋は田舍《いなか》へ嫁入つた姉の処《ところ》に引取つて貰ひまするし、女房は子をつけて実家《さと》へ戻したまゝ音信不通《いんしんふつう》、女の子ではあり、惜しいとも何《なん》とも思ひはしませぬ(14)けれど、その子も昨年の暮《くれ》チプスに懸《かゝ》つて(15)死んださうに聞ました。女はませな物ではあり、死ぬ際《ぎは》には定めし父様《とゝさん》とか何とか言ふたのでござりましよう、今年ゐれば五つになるのでござりました。何のつまらぬ身の上、お話しにもなりませぬ」
(8)出歩くのが止む。つまり、放蕩がやむこと。
(9)小野小町。平安前期の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。作風は情熱的、しかも繊細・技巧的で優艶。美貌・好色の歌人として伝説化され、能の演目や歌舞伎の題材となった。
(10)中国、春秋時代の越の美女。越が呉と会稽で戦って敗れると、越王勾践(こうせん)は西施を呉王夫差に献上。夫差は西施の容色に溺れ、その隙をついて越は呉を滅ぼしたと伝わる。
(11)「記紀」の伝説上の女性。日本書紀では允恭(いんぎょう)天皇の妃の妹とされ、容姿が美しく、艷色が衣を通して光り輝いたという。
(12)信仰の道に入る心を起こすこと、とくに仏教で菩提心を発すること。ここでは、気持ちを入れかえることをいう。
(13)まったくの無一文になる。破産すること。
(14)自分が愛情をもてない妻の産んだ子であるうえ、女の子は跡継ぎではないから惜しくはないという家中心の考え方。当時の常識的な考え方を録之助の口を借りて語っている。
(15)正しくは、チフス。チフス菌などの感染による伝染病。高熱、発疹、脹腫を示す。日本では、ふつう腸チフスをいう。「懸つて」は、罹って、の意。

男はうす淋《さび》しき顔に笑みを浮べて
「貴嬢《あなた》といふ事も知りませぬので、飛んだ我《わが》まゝの不調法(16)《ぶてうはふ》。さ、お乗りなされ、お供をしまする。さぞ不意でお驚きなさりましたろう。車を挽《ひ》くと言ふも名ばかり、何が楽しみに轅棒《かぢぼう》をにぎつて、何が望みに牛馬《うしうま》の真似(17)をする。銭を貰《もら》へたら嬉《うれ》しいか、酒が呑《の》まれたら愉快なか(18)、考へれば何も彼《か》も悉皆《しつかい》(19)厭《い》やで、お客様を乗せやうが、空車《から》の時だらうが、嫌《い》やとなると用捨《ようしや》なく嫌やになりまする。呆《あき》れはてる我《わが》まゝ男、愛想《あいそ》が尽きるではありませぬか。さ、お乗りなされ、お供をします」
と進められて、
「あれ、知らぬ中《うち》は仕方もなし、知つて其車《それ》に乗れます物か。それでもこんな淋しい処《ところ》を一人ゆくは心細いほどに、広小路へ出るまで唯《たゞ》道づれになつて下され。話しながら行《ゆき》ませう」
とてお関は小褄《こづま》(20)少し引あげて、ぬり下駄のおと、これも淋しげなり。
(16)行き届いた態度でないこと。そそう。
(17)人力車を引くことを自嘲的にさす。
(18)愉快なのか。
(19)残らず、すべて。ことごとく。
(20)着物のすそのふち先。着物のすそが足にまつわりつかないように、うわ前を持ち上げてすそのふち先(小褄)を少し引き上げる。

朗読は、下記のYouTube「いちようざんまい」からどうぞ。





現代語訳例=『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出文庫、2008.1、篠原一訳、p.171-174)から

「御存知で御座いましょ、筋向かいの杉田やの娘で色が白いとか格好がいいとか云って世間の馬鹿が闇雲に褒めたてた女で御座います。わたしがどうにもこうにも放蕩者で家にさえ寄りつかなくなったのを貰うべきときに嫁を貰わぬからだって親類連中のわからず屋が勘違いしましてね、あれならいいだろと母親の眼鏡にかなったんで御座いますよ。是非もらえやれ貰えって無茶苦茶におったてられるのが五月蠅(うるさ)くって、どうなりとなれなれ勝手になれ、て投げやりな気持ちであれを嫁に貰ったのはちょうだあなた様がご懐妊(おめでた)だとお聞きした頃でした。

一年目にはわたしのところも他人さまからお祝いを云われて、気も早く犬はりこや風車をならべたてましたけど、何のそんなことでわたしのぶらぶらがやむってわけではなかったんですよ。他人さまは綺麗どこの女房をもたせたらぶらぶらがやむか、子供が生まれたら正気になるかとでも思っていたんでしょうけど、たとえ小町と西施が手をひいてきて、衣通姫が舞を舞ってくれてもわたしの放蕩(のら)はおさめないってことに決めておいたのを、なにがどうして乳臭い餓鬼の顔見て心変わりなんて出来ますか。

遊んで遊んで遊びぬいて、飲んで飲んで飲み尽くして、家も稼業もそっちのけに箸一本もたねえようになったのは一昨々年(さきおととし)でござんした。お袋は田舎に嫁いった姉貴のところにひきとって貰いましたし、女房は小ッさいのをつけて実家へかえしたまま音信不通。女餓鬼でしたからね、跡取りでもなし、惜しいとも思っちゃいませんけど、その餓鬼も去年の暮れ方にチフスにかかってポックリ逝ったように聞きました。女餓鬼は変にませてやがるから、死ぬときにはまあきっと、父様(ととさま)とかなんとか云ったんで御座いましょう。生きていれば今年、いつつになる餓鬼でした」

何もパッとしたことのない、ないないづくしの身の上でお話にもなりゃしません。
録之助はうすら淋しげな顔に笑みを浮かべて、とりなすように、あなた様だということも知らなかったもんですからとんだ我が儘の不調法をしでかしました、さ、お乗りになって、お供いたしましょ、さぞ不意で驚かれたでしょう、と云った。

「車を挽くってえのも名前ばッかり。なにが楽しくて棍棒なんかにぎって牛馬の真似事をしなくちゃなんないんですかね。銭を貰えたら嬉しいンですかね。それとも、酒が飲めたら愉央なンですかね。ちゃあんと考えりゃあ何か何でも端から端までことごとくみんな全部厭なんでさ。 そうすッと、お客様をのせようか空の車をころがそうが厭となると容赦なく厭になツちまう。自分でも自分 の我が儘にあきれます。こういうのか愛想か尽きるってもんじゃないですか」さ、お乗りになって、お供します、とすすめられて 、お関はたじろいだ。

「ああ知らないうちでは仕方ないけど、昔なじみの録さんと知ってしまってはあなた様の挽く人力車に乗れますか。でも、まあこんな淋しいと ころをひとりで夜歩きするのは心細いから、広小路にでるまではただ路ゆきにつきあってくださいな。お話しながらゆきましよう」

お関は小褄を少しひきあげる。塗り下駄の音かこれも淋しく寂れた月路にからから響く。

コメント

人気の投稿