十三夜⑨

離縁を願うお関に対して、父親は、ときに「因果を含めて」説得にかかります。

いや阿関《おせき》、こう言ふと父が無慈悲で汲取《くみと》つてくれぬのと思ふか知らぬが、決して御前を叱《し》かるではない。身分が釣合はねば思ふ事も自然違《ちが》ふて、此方《こちら》は真から尽す気でも、取りやうに寄つては面白くなく見える事もあらう。勇さんだからとてあの通り、物の道理を心得た、利発の(1)人ではあり隨分《ずいぶん》学者(2)でもある。無茶苦茶《むちやくちや》にいぢめ立《たて》る訳ではあるまいが、得《え》て(3)世間に褒《ほ》め物の敏腕家《はたらきて》などゝ言はれるは、極めて恐ろしい我まゝ物《もの》、外では知らぬ顏に切つて廻せど(4)、勤め向きの不平などまで家内《うち》へ帰つて当りちらされる、的《まと》になつては隨分つらい事もあらう。なれどもあれほどの良人《おつと》を持つ身のつとめ、区役所がよひの腰弁当(5)が釜の下を焚《た》きつけてくれるのとは格が違ふ。隨《した》がつてやかましくもあらう、六《む》づかしくもあろう、それを機嫌の好い様にとゝのへて行くが妻の役、表面《うわべ》には見えねど、世間の奥様といふ人達の、いづれも面白くをかしき仲ばかりはあるまじ(6)


(1)賢い。
(2)学問をつみ、道理をわきまえた人。
(3)えてして。とかく。
(4)うまく処理するが。手際よくやってのける。
(5)毎日弁当を持って出勤するような下級役人や安月給取りのこと。江戸時代、勤番の下侍が袴の腰に弁当をさげて出仕したのに由来。
(6)和気あいあいとした仲ばかりというわけでもありまい。

身一つと思へば(7)恨みも出る、何の(8)これが世よの勤めなり、殊《こと》には(9)これほど身がらの相違もある事なれば、人一倍の苦もある道理、お袋などが口広い事(10)は言へど亥之《いの》が昨今の月給にありついたも、必竟《ひつきやう》は(11)原田さんの口入れ(12)ではなからうか。七光《なゝひかり》どころか十光《とひかり》も(13)して、間接《よそ》ながらの恩を着ぬとは言はれぬに、愁《つ》らからうとも一つは親の為《ため》、弟《おとゝ》の為、太郎といふ子もあるものを、今日までの辛棒《しんぼう》がなるほどならば、これから後《ご》とて出来ぬ事はあるまじ。離縁を取つて出たがよいか、太郎は原田のもの、其方《そち》は斎藤の娘、一度《ど》縁が切れては二度と顏見にゆく事もなるまじ。同じく不運に泣くほどならば、原田の妻で大泣きに泣け。なあ関、さうではないか。合点《がてん》がいつたら何事も胸に納めて、知らぬ顏に今夜は帰つて、今まで通りつゝしんで世を送つてくれ。お前が口に出さんとても親も察しる、弟《おとゝ》も察しる、涙は各自《てんで》に分《わけ》て泣かうぞ」 

(7)自分ひとりが不幸だと思うと。
(8)いやいやむしろ。どうしてどうして。
(9)さらには。そのうえ。
(10)口にまかせての大きなこと、えらそうなこと。
(11)つまるところ。ついには。
(12)口きき。取り持ち。
(13)「親の光は七光」(親や主君の社会的地位や名声が子の出世に大いに役立つ)という諺にあるように、「七光」とは、親などの威光が大きく、その余光が長く及ぶこと。それどころか「十光も」と、原田のおかげの絶大なることを述べている。

因果を含めて(14)これも目を拭《ぬぐ》ふに、阿関はわつと泣いて、

「それでは離縁をといふたも我《わが》まゝでござりました。成程《なるほど》、太郎に別れて顏も見られぬ様にならば、この世にゐたとて甲斐《かひ》もないものを、唯《たゞ》目の前の苦をのがれたとてどうなる物でござんせう。ほんに私さへ死んだ気にならば、三方《ぱう》四方、波風たゝず、兎《と》もあれ、あの子も両親の手で育てられまするに、つまらぬ事を思ひ寄《より》まして(15)、貴君《あなた》にまで嫌《い》やな事を御聞《おき》かせ申しました。今宵限《こよひかぎ》り関はなくなつて、魂《たましゐ》一つがあの子この身を守るのと思ひますれば、良人《おつと》のつらく当る位、百年も辛棒《しんぼう》出来さうな事。よく御言葉も合点が行きました、もうこんな事ことは御聞《おき》かせ申しませぬほどに、心配しんぱいをして下さりますな」

とて拭ふあとから又涙、母親は声たてゝ、

「何といふこの娘《こ》は不仕合《ふしやわせ》」

と又一しきり大泣きの雨、くもらぬ月も折から淋しくて、うしろの土手の自然生《しぜんばへ》(16)を弟《おとゝ》の亥之《いの》が折《をつ》て来て、瓶《びん》にさしたる薄《すゝき》の穗の招く手振り(17)も哀れなる夜《よ》なり。


(14)原因と結果の道理を言い聞かせ、やむを得ない事情を説明してあきらめさせる。
(15)離縁状をもらってもらうことを考えつきまして。
(16)自然にはえた草木。
(17)すすきの穂が人を招くように揺れる様子を表現している。


朗読は下の「いちようざんまい」から、どうぞ。 




現代語訳例=『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出文庫、2008.1、篠原一訳、p.161-164)から

 いや、お関、こう云えばお前はこの父が無慈悲に自分の云い分をききいれてくれないとだけ思うかも知れないが決してお前を叱っているのではないのだ。家柄、身分がつりあわなければ自然と思うこと、考えることにも違いが出てくる。こっちが心から尽くそうと思っても、とりようによってはあちらさんには面白くなく見えることもあるだろう。勇さんだってあのようにものの道理をわかった賢いお人だ。随分な学者でもある。無茶苦茶に虐めたてるわけえはないだろうが、世間様が褒めそやかすような働き手などと云われるひとはおそろしく我が儘なひとでもあるのだ。外向きでは素知らぬ顔で切り盛りしていても、つとめの不平などを家に持ってかえってあたりちらす。

その標的(まと)になってはつらいこともあるだろう。けれど、それもあれほどの夫を持つ妻のつとめなのだ。区役所勤めの腰弁当さげているような輩が釜の下を焚きつけてくれるのとはわけが違う。やかましくもあるだろう、難しくもあるだろう。しかし、それを機嫌のいいようにしてやるのが妻のつとめ。表だっては見えないが、世間の奥さまと呼ばれる人たちも皆が皆しておもしろおかしく暮らしているわけではあるまい。

自分一人と思うから恨み言も云いたくなる。しかし、それがどうしたのだ、これが人の世のつとめというものだろう。とくにこれほど身分に差のある仲ならば人一倍の苦労があるのも道理だろう。御母様なんかは大風呂敷ひろげたようなことを云うが、亥之助が近頃のような月給にありつけたのも云ってみれば原田さんの口添えあってのことではないか。七光りどころか十光りもして、余所ながら恩を着たと云われてしまうのはつらいだろうが、ひとつは親のため、またひとつは弟のため。

太郎という子供がいるのだ、今日まで辛抱がなったのならこれからだって出来ないと云うことはないだろう。離縁を勝ち取って婚家を出てきたはいいが、そうしたら太郎は原田家の跡取りでお前は斎藤の家の娘だ。一度、縁が切れたら二度と顔を見にゆくことも出来ないのだぞ。同じように不運に泣くのなら原田の妻のままで泣け。なあ、関、そうじゃないのか。わかったらすべてを胸におさめて何もなかったように今夜は帰って、今までどおり慎んで暮らしてくれ。お前が何も云わなくとも俺たちが察してやるし、亥之助がそうだろう。お前の涙はみんなにわかたれるのだ。」

と因果を含めて父親も涙を拭った。わたしも声をあげてワッと泣いた。

「それでは離縁をと云っていたのも我が儘だったので御座いましたのね。そうですね、太郎と別れて顔も見られなくなれば生きていても意味がないんですものね。ただ目の前の苦労から逃れたとしてもどうなるものでも御座いませんものね。ただわたしだけが死んだつもりになれば何処にも波風を立てないで、とにもかくにもあの子も両親の手で育てられるんですものね。つまらない考えをおこして、御父様にまで厭なことをおきかせしました。今夜限り関は死んだつもりで魂ひとつがあの子を護るものと思います。そうすれば、夫のつらくあたるのくらい百年だって辛抱できそうです。御父様のお話も合点がまいりました。もうこんなお話はいたしませんから心配なさらないでください」

そう云って拭う目元からまた涙がこぼれる。母親は声をあげて、なんてこの子は不幸せなんだろ、とまたひとしきり大泣きになく。その涙の雨で、曇りのない月も淋しく見えて、家の後ろの土手に自然にはえているのを弟の亥之助が手折ってきて花瓶に挿した薄の穂のしなだれ招くような手振りももの哀しく見える夜だった。

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