十三夜⑧
目を閉じ、腕組みして聞いていたお関の父が、ついに口を開きます。
父親《てゝおや》は先刻《さきほど》より腕ぐみして目を閉ぢてありける(1)が、
「あゝ御袋《おふくろ》(2)、無茶《むちや》の事を言ふてはならぬ、我《わ》しさへ始めて聞いてどうした物かと思案にくれる、阿関《おせき》の事なれば、並大底《なみたいてい》でこんな事を言ひ出しさうにもなく、よくよく愁《つ》らさに出て来たと見えるが、して(3)今夜は聟《むこ》どのは不在《るす》か、何か改たまつての事件でもあつてか、いよいよ離縁するとでも言はれて来たのか」
と落《おち》ついて問ふに、
(1)閉じていたが。
(2)ああ、かあさん。
(3)それで(接続詞)。
「良人《おつと》は一昨日《おとゝひ》より家《うち》へとて(4)は歸《かへ》られませぬ、五日《か》六日《か》と家《うち》を明けるは平常《つね》の事、さのみ珍らしいとは思ひませぬけれど、出際《でぎは》に召物《めしもの》の揃《そろ》へかたが悪いとていかほど詫《わ》びても聞入れがなく、其品《それ》(5)をば脱いで擲《たゝ》きつけて、御自身洋服にめしかへて、吁《あゝ》、私位《わしぐらゐ》不仕合《ふしあはせ》の人間はあるまい、御前《おまへ》のやうな妻を持つたのはと言ひ捨《ず》てに出て御出《おい》で遊《あそば》しました。何《なん》といふ事でござりませう、一年三百六十五日物いふ事もなく、稀々《たまたま》言はれるはこの様な情《なさけ》ない詞《ことば》をかけられて、それでも原田の妻と言はれたいか、太郎の母で候《さふらふ》と顏おし拭《ぬぐ》つて(6)ゐる心か、我身《わがみ》ながら我身の辛棒《しんぼう》がわかりませぬ(7)。もうもう、もう私は良人《つま》も子もござんせぬ、嫁入《よめいり》せぬ昔《むか》しと思へばそれまで、あの頑是《ぐわんぜ》ない(8)太郎の寝顔を眺めながら、置いて来るほどの心になりましたからは、もうどうでも勇の傍《そば》にゐる事は出来ませぬ。親はなくとも子は育つと言ひまするし、私の様な不運の母の手で育つより、軽母御《まゝはゝご》なり、御手《おて》かけなり、気に適《かな》ふた人(9)に育てゝ貰《もら》ふたら、少しは父御《てゝご》も可愛《かわゆ》がつて、後々《のちのち》あの子の為《ため》にもなりませう。私はもう今宵《こよひ》かぎりどうしても帰る事は致しませぬ」(4)家へは。
とて、断《た》つても断てぬ子の可憐《かわゆ》さに、奇麗《きれい》に言へども(10)詞《ことば》はふるへぬ。
(5)その召物、お着物。
(6)表面をとりつくろい、平然としている。
(7)自分でも自分の忍耐が理解できない。
(8)幼くて聞き分けがない。
(9)(原田の)気に入った人。
(10)取り乱さないように口ではいさぎよい言い方をしても。
父は歎息《たんそく》して、「無理はない、居愁《ゐづ》らくもあらう。困つた仲になつたものよ」と暫時《しばらく》阿関《おせき》の顏を眺めしが、大丸髷《おほまるまげ》(11)に金輪《きんわ》(12)の根を卷きて、黒縮緬《くろちりめん》(13)の羽織何《なん》の惜しげもなく、我が娘《むすめ》ながらもいつしか調《とゝの》ふ奥様風《おくさまふう》、
(11)大きく結った丸髷。丸髷は既婚の女性の髪型で、年をとるにしたがい、小さく結う。
(12)丸髷の元結に巻く金の輪。
(13)平織を煮沸して細かく縮ませた絹織物の一種。
「これをば結び髮(14)に結《ゆ》ひかへさせて綿銘仙《めんめいせん》(15)の半天《はんてん》(16)に襷《たすき》がけの水仕業《みづしわざ》(17)さする事いかにして忍ばるべき(18)。太郎といふ子もあるものなり、一端の(19)怒りに百年の運を取《とり》はづして、人には笑はれものとなり、身はいにしへの斎藤主計《さいとうかずへ》が娘に戻らば、泣くとも笑ふとも再度《ふたゝび》原田太郎(20)が母とは呼ばるゝ事、なるべきにもあらず(21)。良人《おつと》に未練は残さずとも我が子の愛の断ちがたくは、離れていよいよ物をも思ふべく(22)、今の苦労を恋しがる心も出づべし。かく形よく(23)生れたる身の不幸《ふしやはせ》、不相応の縁につながれて幾らの(24)苦労をさする事」と哀れさの増《まさ》れども、
(15)横糸に綿糸を用いて銘仙(衣類や夜具地に用いられる絹織物の一種)に似せた織物。
(16)うわっぱり。羽織に似た簡素な仕事着。
父親は先刻から腕組みして眼を閉じていた。
「ああ、おかあさん、無茶なことを云ってはいけない。俺さえはじめて聞いてどうしたものか途方に暮れているのだ。お関のことならば並大抵のことでこんなことを云いだすようでもない。あんまりつらいから婚家を出てきたというのはほんとのことだと察しがつくんだ。ところで今夜、婿殿は留守か。何かあらたまって家を出てくるような事件でもあったのか。いよいよ離縁するとでも云われてきたのか」
と落ち着いて尋ねる。
「夫は一昨日から家には帰りません。五日、六日ほど家をあけるのは普通のことなのです。そんなにめずらしいことだとは思いませんけど、出かけ際に着物のそろえ方が悪いと云いまして、どれほど謝っても許してくれず、それを脱いで叩きつけるとご自分でお洋服におめしかえになって、ああわたしくらい不幸せな人間はいないだろう、お前のような妻をもったのは、と云い捨てて出てゆかれました。なんということでしょうね。一年三百六十五日、格別ものを云うこともなく、たまにこんな情けない言葉をかけられて、それでも原田の妻と云われたいか、太郎の母親でございますと居座っているつもりか、自分のことながら自分の辛抱がわかりません。もう、もうもう、わたしは夫も子供もおりませんでした嫁入り前の昔にかえりたい、とそう思ったらそれまで、あの素直きわまりない太郎の寝顔を見ながら置いてくるほどの心になりましたからもう何がどうなっても勇のそばにいることは出来ません。親はなくとも子は育つと言います。わたしのような不運な母親の手で育つより継母(ままはは)なり、お手掛けさんなりあの家の気風にあった人に育てて貰ったら、父親も可愛がって後々それがあの子のためにもなるでしょう」
わたしはもう今夜限り絶対に原田の家に帰ることはいたしません、と断っても断ちようのない子供への愛情のために気丈に云いきっても、言葉は震えた。
父親は溜息をつき、無理はない、原田の家に居づらくもあるだろう、困った仲になってしまったものだ、としばらくわたしの顔をながめていた。
当のわたしといえば大丸髷(おおまるまげ)に金輪(きんわ)の根をまいて黒縮緬(くろちりめん)の羽織を何の惜しげもなく着ている。御父様にしてみれば、我が娘ながらいつしかととのった奥さまらしい風情をあがめていると、これを結び髪に結いかえさせて綿銘仙(めんめいせん)の半纏(はんてん)にきがえさせ、襷(たすき)がけさして水仕事などをさせることなど、どのようにしてこらえたらいのだろうかと思われたのだろう。
太郎という子供もいるのである。一時の怒りに百年の運を棒にして、他人さまには笑われ、自分は昔のように斎藤主計の娘に戻ったら泣いても笑ってもふたたび原田太郎の母と呼ばれることはないのである。夫に未練は残さなくても自分の子供への愛情は断ちがたい。離れて暮らせば更に、更に、ものも思うだろうし、今の苦労もいとおしく感じる気持ちにもなるだろう。それというのもこのように身分不相応な明皓歯に生まれてしまったわたしの身の不幸である。
太郎という子供もいるのである。一時の怒りに百年の運を棒にして、他人さまには笑われ、自分は昔のように斎藤主計の娘に戻ったら泣いても笑ってもふたたび原田太郎の母と呼ばれることはないのである。夫に未練は残さなくても自分の子供への愛情は断ちがたい。離れて暮らせば更に、更に、ものも思うだろうし、今の苦労もいとおしく感じる気持ちにもなるだろう。それというのもこのように身分不相応な明皓歯に生まれてしまったわたしの身の不幸である。「つりあわない縁につながれて幾ばくかの苦労をさせればそれはまた憐憫(あわれみ)ももよおされるが、
コメント
コメントを投稿