十三夜⑦
「十三夜」のつづき。お関が嫁ぐに至ったいきさつや、結婚生活のありさまが具体的に語られていきます。
母親は子に甘きならひ、聞く毎々《ことごと》に身にしみて口惜しく、父様《とゝさん》は何と思《おぼ》し召《め》すか知らぬが元来《もともと》此方《こち》から貰《もら》ふて下されと願ふて遣《や》つた(1)子ではなし。
(1)お頼みして嫁にやった。
身分が悪い惡いの学校が何《ど》うしたのと宜《よ》くも宜くも勝手な事が言はれた物。先方《さき》は忘れたかも知らぬが此方《こちら》はたしかに日まで覚えて居る。阿関《おせき》が十七の御正月、まだ門松を取《とり》もせぬ七日の朝(2)の事であつた。
(2)正月七日。元旦から七日までを「松の内」といい、東京の風俗では、女の子は羽根つき、男の子は凧あげをして遊んだ。七日は七草の日で、七草がゆを食べた。
旧《もと》の猿楽町《さるがくてう》の(3)あの家《うち》の前で、御隣の小娘《ちいさいの》と追羽根《おひばね》して、あの娘《こ》の突いた白い羽根《はね》が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて(4)、それをば阿関が貰ひに行きしに、その時はじめて見たとか言つて人橋《ひとばし》かけて(5)やいやいと貰ひたがる。
(3)もと住んでいた猿楽町。猿楽町は、東京・神田の町名で、もともと武士の住居がたくさんあった。
(4)落ちたといって。
(5)仲立ちする人が頻繁にやって来て申し込みをすること。
御身分《おみぶん》がらにも釣合ひませぬし、此方《こちら》はまだ根つからの(6)子供で何も稽古事《けいこごと》も仕込んでは置《おき》ませず、支度とても唯今《たゞいま》の有様(7)でございますからとて幾度《いくたび》断つたか知れはせぬけれど、何も舅《しうと》姑《しうとめ》のやかましいがあるではなし、我《わし》が欲しくて我《わし》が貰ふに身分も何も言ふ事はない。
(6)まったくの。
(7)家が貧しくて嫁入りしたくなどできないこと。
稽古《けいこ》は引取つてからでも充分させられるから、その心配も要らぬ事、兎角《とかく》くれさへすれば大事にして置かうからと、それはそれは火のつく様に(8)催促して、此方《こちら》から強請《ねだつ》た訳ではなけれど、支度まで先方《さき》で調《とゝの》へて謂《い》はゞ御前は恋女房、私や父様《とゝさん》が遠慮してさのみは出入りをせぬといふも、勇さんの身分を恐れてゞはない。
(8)あわただしく性急なことのたとえ。
これが妾《めかけ》手かけ(9)に出したのではなし、正当《しようたう》にも正当にも百まんだら(10)頼みによこして貰つて行つた嫁の親、大威張に出這入《ではいり》しても差《さし》つかへはなけれど、彼方《あちら》が立派にやつてゐるに、此方《こちら》がこの通りつまらぬ活計《くらし》(11)をしてゐれば、御前《おまへ》の縁にすがつて聟《むこ》の助力《たすけ》を受けもするかと、他人様《ひとさま》の処思《おもはく》が口惜《くちを》しく、痩《や》せ我慢ではなけれど、交際《つきあひ》だけは御身分相応に尽して(12)、平常《へいぜい》は逢いたい娘の顏も見ずにゐまする。
(9)「妾」と「手かけ」は同義で、「妾」を強調している。
(10)くりかえしくりかえし何度もいうこと。
(11)とるにたらない、貧しい暮らし。
(12)原田の身分にふさわしいように、こちらもつくして。
それをば何の馬鹿々々《ばかばか》しい親なし子《ご》でも拾つて行つたやうに大層《たいさう》らしい(13)。物が出来る(14)の出来ぬのとよくそんな口が利《き》けた物。黙つてゐては際限もなく募つて、それはそれは癖になつてしまひます。第一は婢女《をんな》どもの手前、奥様の威光が削《そ》げて(15)、末には御前《おまへ》の言ふ事を聞く者もなく、太郎を仕立《したて》る(16)にも母様《はゝさん》を馬鹿にする気になられたら何としまする。
(13)えらそうなふうだ。
(14)「物」は、学問と稽古ごとの両方をさす。
(15)なくなって。
(16)養育する。
言ふだけの事は屹度《きつと》(17)言ふて、それが悪るいと小言《こゞと》をいふたら、何の私にも家《うち》があります。とて、出て来るがよからうではないか。実《ほん》に馬鹿々々しいとつては(18)、それほどの事を今日が日まで(19)黙つてゐるといふ事があります物か。余《あんま》り御前が温順《おとな》し過《すぎ》るから我儘《わがまゝ》がつのられたのであろ。
(17)ちゃんと、確実に。
(18)ばかばかしいといっては。
(19)きょうというきょうまで。
聞いた計《ばかり》でも腹が立つ。もうもう退《ひ》けて(20)ゐるには及びません。身分が何であらうが父もある母もある。年はゆかねど亥之助といふ弟《おとゝ》もあれば、その様な火の中(21)にじつとしてゐるには及およばぬこと。なあ父様《とゝさん》、一遍《ぺん》勇さんに逢ふて十分油《あぶら》を取つたら(22)ようござりましよ」(20)負けて、引き下がって。
と母は猛《たけ》つて前後もかへり見ず。
(21)つらい境遇。
(22)とっちめる。ぎゅうぎゅうのめにあわせる。
朗読は下の「いちようざんまい」で、どうぞ。
●現代語訳=『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出文庫、2008.1、篠原一訳、p.155-158)から
母親というものは子供に甘いものである。聞く事毎(ことごと)に口惜しく感じていた。父親はどう思っているか見当もつかなかったが、母親の方は、もともとこっちから貰ってくださいとお願いして嫁がせた娘ではない、身分が悪いの学校がどうしたのとよくも勝手なことが云えたものだ、原田さん方は忘れたかも知れないがこっちは日にちまでおぼえている、と後先考えずに憤りだした。
「あれはお関が十七歳になった年の正月、まだ門松をとっていなかった七日の朝だったよ。もとの猿楽町のあの家の前でお隣の小さい娘さんと追羽根(およばね)して、あの子のついた白い羽根が通りかかった原田さんの人力車に落ちたと云って、それをお関が貰いにいったんだ。
その時はじめて見たとか云って、あいだに人橋かけてしきりに貰いたがった。ご身分柄にもつれあわないし、こっちはまだ根っからの子供で何の稽古事もしこんでない、支度も只今の有様だから満足に出来ない、と何度ことわったか知れない。
けれど、何も舅姑のようなうるさいのがいるわけではなし、わたしが欲しくてわたしが貰うのだから身分も何も云うことはない、稽古事などは引き取ってからでも充分にさせられるからその心配も要らない、とにかくくれればそれだけで大事にして置くから、とそれは火のつくように催促してきたんじゃあないか。
こちらから催促したわけではないけれど支度までむこうがととのえてくれて、お前は云ってみれば請われて嫁いだ恋女房なんだよ。わたしや御父様が遠慮をしてそうそう出入りをしないのも勇さんのご身分に恐れ入っているからではない。これは妾にさしだしたのでもなければ、ただただ真っ当に頼まれて嫁がせた嫁の親なのだから大いばりに出入りしても差し支えないんだ。
だけど、あちらさんがあんなに羽振りよくやってるのにこっちがこんなつまらない暮らしをしていたら、お前の縁に縋って婿の助力でもうけるつもりなのかと他人さまに思われるのが口惜しいじゃないか。やせ我慢ではないけれどおつきあいだけは身分相応にして、普段は会いたい娘の顔も見ないでいるってのに。
それをなんだい、馬鹿馬鹿しい。親なしっ子でもひろってきたみたいに大袈裟な。ものが出来るの出来ないのとよくそんなことが云えたものだ。黙っていたらいけないよ。際限なくつのって癖になる。第一、お女中の前でそんなことを云われた日には、奥方の威光が削げ落ちてします。
挙げ句にはお前の云うことを聞くものはいなくなって、太郎を育てても母親を馬鹿にしたような子供になったらどうしますか。云うだけのことはぃっと云って、それが悪いと云われたら、だから何だというのですか、わたしにも家はありますと云って出てくればいいではないですか。
ほんとうに馬鹿馬鹿しい。そんな大事なことを今日まで黙っている子がありますか。あんまりお前がおとなしすぎるから我慢がつのったんでしょ。ああ、聞いてるだけでも腹の立つ。
もう我慢しているにはおよびません。身分が賤しかろうがお前には父もいるし母もある。歳はいかないが亥之助という弟もいる。そんな家にジッとしていることはありません。ねえ、おとうさん、いっぺん勇さんにあって充分油をしぼってやったらいいでしょう」
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